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第89回 (平成21年6月号)

採用取り消し?
まだ前の会社に在籍しているじゃないか!

SRアップ21北海道(会長:安藤 壽建)

相談内容

「そろそろ創立10年だな、わが社も人事総務の責任者が必要になってきたかな…」T社長が営業統括の専務と調査分析統括の常務に話しかけます。R社はそのほとんどが営業、調査・分析部隊で、人事総務関連業務は、T社長と2名の派遣社員でまかなっています。
「そうですね、最近は変わった人間も増えているし、規則や評価制度にも積極的に取り組む時期かもしれませんね、社長が全部やるわけにはいかないでしょう」と専務が返しました。 「何でも社長の一声で決まるのは、ときに不公平、という話も社員から出ているようです」と常務も発言しました。
その後、R社は採用面接を開始し、この日の役員会から3週間たった日に、数人の人事部長候補からHが選ばれました。Hとは、現在の会社における引継ぎ業務のため、3ヶ月後にR社へ入社すること、支度金50万円ということで話がついています。

ところが、「社長!あのHですが、数年前にうつ病になったことがあるそうですよ、うちの会社にHと同じ会社にいたことがある社員がいまして、その者からの情報です」と専務が社長に駆け寄ってきました。
「何…、それはまずいな、そんな危ないやつを入社させたら大変なことになる…採用取り消しだ、早くHに連絡しておけ、理由は…そうだな…仕事上断れない縁で他の者を採用しなければならなくなった、とでも言っておけ」とT社長が指示しました。「まったく、紹介会社は、もっとよく調べてもらわないと困るよな…」

次の日からHの電話攻撃が始まりました。
すでに退職届を出している、引越しの準備もしている等々、T社長も疲れ果ててしまい「事情があって雇えなくなったから仕方ないでしょう、もう二度と電話してこないでください、あまりにしつこいと営業妨害、いや脅迫で訴えますよ」と言ってしまいました。

相談事業所 R社の概要

創業
平成11年

社員数
18名 契約社員9名

業種
市場調査業

経営者像

衣服に関する流行色の調査分析、ペットフードのモニター調査などを請け負うR社のT社社長は48歳、突出した企画、プレゼンテーション能力で、R社を成長させてきました。ここ数年は、人材紹介会社を通じて社員を採用しています。「すべての時間は仕事に費やす」がポリシーのワンマン社長です。


トラブル発生の背景

最近は人材紹介会社を利用する企業が増えていますが、紹介する人物の経歴や実力などに関するトラブルも発生しています。紹介会社の言うことだけではなく、自社での面接もしっかりしたいものです。
新卒の内定取消が問題となりましたが、中途採用の場合の採用取り消しは、どのように処理すべきだったのでしょうか。

経営者の反応

H社員の電話攻撃がなくなってやれやれという1週間後、紛争調整委員会からあっせんの案内書一式が郵送されてきました。
「Hのやつ…訴えたよ」T社長が専務と常務に封書を渡しました。
「しかし社長、仮に解雇だとしても、入社予定日より2ヶ月以上前に採用取り消し連絡をしたのですから、解雇予告手当も必要ないはずだし、何でしょうね…」と専務が言うと「採用取り消しの無効と支度金の支払い、慰謝料とか書いてありますよ…」と案内を見た常務報告しました。
「なんだと、採用を取り消しただけで、Hはまだ他社の社員だし、そんなばかなことはないだろう…」とT社長は激怒しました。
専務と常務は顔を見合わせ、「われわれもそう思いますが、ここは専門家に相談したほうがよくないでしょうか、あっせんを無視して、裁判所に行かれたらやっかいですよ、新卒の採用取り消しに100万円支払った企業もあるくらいですから…」とT社長に進言しました。「そうだな…それでは頼りになりそうな専門家を探してくれ、Hがうつ病歴を隠していたこともあるしな、言われっぱなしというのも癪だよ」

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:開本 英幸)

内定取り消しというテーマは、労働法では古典的な問題ですが、近年では急激な経営悪化を理由とする新卒者の内定取り消しという形で新たな社会問題となっています。
最高裁は、採用内定について、所定の事由が生じた場合の解約権が留保されているが、労働契約は既に成立しているとし、「採用内定の取消事由は、採用内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実であって、これを理由として採用内定を取消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限られる」と判示しております(大日本印刷事件?最二小判昭54・7・20判例時報938号3頁)。
本件において、Hのうつ病歴の秘匿が採用内定の取消事由となるかどうかは、デリケートな問題といえますが、後述のとおり、内定に至った経緯等の事情から判断することとなります。

Hの法的な請求権について
Hはどのような理由により、R社への金銭請求を行うことができるのでしょうか。
採用内定を前述のように理解しますと、内定取消が無効である場合には、当初の予定どおり、Hは、R社との間で既に成立している労働契約に基づいて、就労予定日から賃金の支払いを求めることができます。仮に、R社がHの就労を拒否した場合であっても、R社に就労を拒否する正当な理由がない以上は、Hが就労をしないにもかかわらず賃金を支払わなければなりません。

また、本件内定に伴って、R社はHに対して支度金を支払う約束をしているため、内定取消が無効である場合には、支度金の支払義務がなお残ることとなります。さらに、R社による内定取消によってHが精神的苦痛を受けたのであれば、慰謝料を請求することが可能となります。
この点、裁判実務における内定取消の事案では、労働者が労働契約の成立を主張して、就労を前提として賃金請求をする場合と、一度も就労をしたことがないため就労を前提としないで、6ヶ月、1年相当分の賃金というように、仮に就労したならば得られたであろう賃金を逸失利益として求める場合があります。いずれを選択するかは、労働者の判断にかかり、本件のように慰謝料請求をする事案も少なくありません。

R社の対応について
R社には、本件内定およびその取消のプロセスにおいて、以下のとおり、その対応には多くの問題があったといえます。

? 採用段階にて、うつ病歴が判明しなかったこと
現在のみならず過去におけるHの健康状態について、R社は、Hから事実確認をしていないようです。過去の病歴についてはプライベートな情報ではありますが、採用後の労働能力に直接影響を及ぼすものですので、少なくとも面接時に確認すべきであったといえます。
R社の対応では、Hがうつ病歴であることを「秘匿していた」とまではいえず、かえってR社の調査・質問が不十分であったと評価されてしまいます。
? 内定取消事由を、うつ病歴ではない、他の理由としたこと
R社はうつ病歴を理由として内定取消をしておりません。しかも、別の理由は、内定取消を有効とするような正当な理由でもありません。
このため、別の理由に固執する限り、内定取消は有効とはなりませんし、事後的にうつ病歴の秘匿を理由としても、裁判所や労働局からは苦し紛れの弁解としかみられず、信用されません。
R社としては、Hのうつ病歴が判明した時点で、Hにあらためて過去の病歴を明らかにするよう求め、その症状の程度を踏まえて、内定取消をするか否かを判断するといった慎重な対応をすべきでした。このようなプロセスを経ることによって、内定取消についてHが納得をして異議を述べなかったり、R社がHの病歴の程度がさして重くないものとして内定取消をしないという判断に至ったりしたかもしれません。
? Hからの問い合わせに対して、「営業妨害、いや脅迫で訴えますよ」と述べたこと
本事案の経緯では、後述のように、R社の内定取消は無効となりそうです。
そのような状況下で、Hが執拗であったとはいえ、刑事告訴を示唆するのはいかがかと思います。むしろ、この段階で早急に弁護士からのアドバイスを受けて、対応窓口を弁護士とする等の適切な対応をとるべきでした。
? 解雇予告手当について
R社の専務は、入社予定日より2ヶ月以上前に採用取り消しを連絡しているから解雇予告手当を支払う必要はない、と述べております。
内定取消は、解雇の一種と理解されておりますが、そもそも解雇予告制度が適用されるかどうか、は理解が分かれております。それはともかく、解雇予告手当を支払うかどうかと、内定取消が有効かどうかは全く別問題です。解雇の有効性が争いとなった場合に、解雇予告手当を支払っていたとしても、必ずしも解雇が有効になるわけではありません。

R社の責任と今後の対応
以上のように、最高裁の理解によると、本件で内定取消が有効となることは難しいと考えられます。
特にR社が事実と異なる採用内定取消事由をHに述べたことによって、あっせん手続や訴訟において、本件は内定取消が無効であると評価される可能性が極めて高いといえます。

R社としては、うつ病歴を明らかにするようHに求めた上で、内定取消を撤回して就労を認めるか、あるいは金銭の支払いをもって解決せざるを得ないといえます。R社にとって係争が長期化することにはメリットがありませんので、解決金として相応の金額を支払って和解するのが適切な対応と思われます。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:小笠原 俊介)

弁護士の指摘とおり、R社のHに対する採用手続は極めて安易な形でなされました。
その結果、R社は無用なトラブルに巻き込まれたといえるでしょう。通常の採用活動において、企業は従業員を採用するに際して選別を厳しくし、本人の健康状態や労務提供義務を果たせるかどうかを綿密にチェックするものです。R社はそのあたりの詰めが甘かったといえます。

採用前のトラブル防止策
今後、R社が今回のような採用トラブルに巻き込まれないようにするには、採用に際して慎重に取り組んでいく必要があります。
そのためには、応募者の健康状態および誠実に労務提供できるかどうかについてチェックを怠りなくしなければなりません。健康面については、病歴(精神障害の病歴を含む)の有無について応募者に申告を求めることも可能です。
職安法第5条の4は、求職者などの個人情報の取り扱いについて定めていますが、個人情報の収集は、「業務の目的の達成に必要な範囲内」でなければならないとされており、同条の指針が定める収集してはならない個人情報には健康情報は含まれていません。したがって、採用に際しては必ず病歴の申告を求める必要があります。
うつ病のような再発する可能性の高い病歴がある場合には、採用後の労務提供に重大な影響を与えかねないことになりますので、社会的差別につながるような病歴以外については、申告を求めてもさしたる問題はないと考えます。

また、労働安全衛生規則43条(雇入時の健康診断)では、「事業者は、常時使用する労働者を雇い入れるときは、当該労働者に対し、健康診断を行わなければならない」として、入社後の健康診断実施を示唆していますが、採用選考時に健康診断を実施してはいけないという明確な法的規制があるわけではありません。
入社前に健康診断を行い採用判断の資料としても、法的には、「企業には経済活動の自由の一環として、その営業のために労働者を雇用する採用の自由が保障されているから、採否の判断の資料を得るために、応募者に対する調査を行う自由が保障されているといえます。
そして、労働契約は労働者に対し一定の労務提供を求めるものであるから、企業が、採用にあたり、労務提供を行う上で一定の身体的条件、能力を有するかを確認する目的で、応募者に対する健康診断を行うことは、予定される労務提供の内容に応じて、その必要性を肯定できる」とされていますので、そのことを根拠に実施することも可能です(B金融公庫(B型肝炎ウィルス感染検査)事件:東京地判平15.6.20労判854号)。

合法的に採用取り消しを行なう方法は?
合法的に採用取消しを行なうには、上記のとおり「採用内定当時知ることができず、 また知ることが期待できないような事実」があり、それを理由に採用内定を取消すこと が「解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当とし て是認」できる場合に限られます。

その際、考慮すべき主な事項はつぎのようなものです。

(1) 内定取消しの事由となるのは、内定期間中に新たに判明した事実であり、内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実である。
(2) 内定通知書や誓約書に取消事由として明記されている内定に特有の取消事由(卒業不可、学業成績の著しい低下、健康状態の著しい悪化、など)。
(3) 提出書類の虚偽記入。ただし、虚偽記入はその内容・程度が重大なもので、それによって社員としての職務能力不足や不適格性が判明した場合に限られる。
(4) 内定後の経営悪化や定員超過を事由とする内定取消しは、使用者の帰責事由による解約であるため、その適法性は厳格に判断されます。その場合、整理解雇の有効性を判断する次の四要件(要素)を総合的に考慮した上で、判断されることになります。
?整理解雇の必要性
?整理解雇を回避するための努力
?対象労働者の選定基準の合理性・公平性
?整理解雇手続きの妥当性

これらは、現有社員と同基準で考慮すべきであり、単に業績が悪化しているという理由のみで内定を取消すことや、取消し通知のみで行なうことは、権利の濫用に該当し、法的に無効とされる可能性が大きいということになります。

過去に精神疾患を発症した者への採用
弁護士と相談の結果、内定取消しを行わないのであれば、まずはHのうつ病の現況について、主治医の意見も参考としながら、現実に労務提供できるのか否かについて本人と率直な話し合いをし、R社としてできる配慮の程度、Hにはどのような業務が求められるのか、そこで要求される負荷に耐えられる状態なのか、より冷静かつ客観的合理的な検討がR社とHの双方に求められます。
大切なのは、Hのうつ病歴を考えた場合、R社が人事部長職について不安があるというなら、R社が求めている業務内容をよく説明し、十分に理解を得たところで、R社として危惧しているところを率直に伝えることです。

今後のR社に対するアドバイス
R社については今後も採用が増えていく可能性があります。同じ過ちを犯さないためにも適切な採用活動が望まれるところです。
たとえば、今回のHのような幹部社員(人事部長)の採用には個別に労働契約書を作成し(地位特定契約)、「人事部長」と地位を特定することや、R社が望む職務内容を記載すること、および仕事の成果の数値・内容等を明示しておくことによって、後々労働契約の解消がしやすくなると思います。さらに、試用期間中の私傷病による休職規定の適用除外、うつ病等に関する休職の適用規定、普通解雇規定等の見直し等、就業規則を怠りなく整備しておくことが、採用トラブルの防止に役立つことでしょう。

加えて、内定段階でも誓約書提出時に身元保証人をつけるということについて考慮すべきです。そうしておきますと、うつ病等の疾病に罹り通常の労務提供が不可能となった場合に、身元保証人を交えて話し合いを行い、早い段階で休職の扱いとすることや、合意に基づく労働契約の解消により退職してもらう等の方法が講じられるかもしれません。常に、企業が健康な人だけを採用できるとは限りません。現実にはそうでない人も入社してきます。そのようなときのために、R社は応募者に対し、病歴の申告を適切に求め、身元保証人を求めておくといった措置が求められます。

税理士からのアドバイス(執筆:中川 智)

最近、新規事業進出や新たな部署の創設等、積極的かつ機動的な事業展開を行うにあたって、ヘッドハンティングが有効活用されています。本事例で争点となったヘッドハンティングに係る経費についての税務上の取り扱いをまとめてみます。

? 紹介会社へ支払う「紹介料」・「手数料」
<R社側>
債務の確定した事業年度において全額損金として処理できます。
消費税は課税されます。
? 人材に対して支給する「支度金」等
<R社側>
債務の確定した事業年度において全額損金として処理できます。
消費税は課税されます。
契約金として所得税の源泉徴収が必要です。(所基通204?30)
<H側>
「支度金」、「準備金」、「契約金」等名目のいかんにかかわらず実質で判定します。   「支度金」等は、雇用契約そのものによって支給されるものではないので給与所得に該当せず、労務の対価としての性質があるため一時金であっても一時所得に該当しません。結論としては「雑所得」として確定申告が必要です。(所基通35?1(11))
なお、雇用契約を結んだ後に支払われる支度金は給与所得に該当し、年末調整により所得税が精算されます。
また、ヘッドハンティングされた人材の就職に伴う転居のための旅費や引越し等に通常要する費用については、その実費弁償的性格に着目して所得税が非課税とされていますので、支度金と明確に区分する等の工夫が必要です。(所法9?4)
? 人材に対して支払う「損害賠償金」
<R社側>
業務関連性があり、損害原因に故意または重過失がない場合には、支出した事業年度において全額損金として処理できます。
消費税は課税されません。
<H側>
心身に損害を加えられたために受け取る慰謝料その他の損害賠償金は所得税が非課税とされています。(所法9?16)

R社は本件を踏まえ、税務上の観点からも、採用にあたっては慎重に判断を下すことが必要と考えます。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRアップ21北海道 会長 安藤 壽建  /  本文執筆者 弁護士 開本 英幸、社会保険労務士 小笠原 俊介、税理士 中川 智



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