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第5回  (平成14年7月号)

退職した元社員が2年間の残業手当を請求してきた

SRアップ21鹿児島(会長:保崎 賢)

相談内容

先月退職した社員Fが内容証明郵便で、在職中の残業手当差額として二年間分、約150万円を請求してきました。
E社が無視していたところ、元社員Fが立会人2名を帯同して会社に乗り込んできました。他の社員がいる手前、残業手当の話をしたくなかった社長は、近くの喫茶店に行き、「今日は忙しいので明日にしてくれ」と言って、Fに二万円を渡しました。

次の日、E社の社長と専務(社長の弟)が約束した面談場所の貸会議室に行くと、社員Fと立会人という者が4人いました。
「労働基準監督署に聞いていろいろと再計算したら、戴かなければならない賃金の不足額が250万円になりました。また、在籍社員にも、”法律はこうなっているんだよ。”と話をしようと思っています。」と元社員Fが口火を切りました。
E社の社長と専務は震え上がってしまいました。

相談事業所 E社の概要

創業
昭和51年

社員数
23名(うちパートタイマー7名)

業種
機械器具販売・保守業

経営者像

63歳、兄弟で事業推進、社員の先頭に立って働くタイプ


トラブル発生の背景

地方都市の景況は、生産活動の水準低下が続き、依然として厳しい経済情勢にあります。加えて、雇用情勢の一段の悪化、労働条件の引き下げ、解雇等が増加傾向にあり、県下の労働基準監督署には、解雇、賃金不払い等の申告・相談が急激に増加してきたとのことです。
とりわけ中小企業にとっては、先行きに不安が募る深刻な状況となっています。

賃金は、労働者にとって最も重要な労働条件として考えなければならないのですが、企業にとっては最も大きな経費として位置づけられます。昨今の厳しい状況にあっては、さまざまな業種の経営者の方から、製品単価(取引条件)が切り下げられることが多いという話を聞きます。
このような状態で「残業手当など払えるわけがない」というのが本音なのではないでしょうか。

しかし、法律を守らなければ、いつまでたってもリスク回避できないことになります。
また、現実的な問題としては、事業場外で労働するケースや管理職のケースなど、実際の労働時間が把握できない場合も多々あります。時間外労働があったのかどうか、割増賃金を支払うべきなのかどうか、問題が発生して解決策を探るよりも、現行の業務実態を把握し、賃金体系を見直すことが必要です。

今回は未払分賃金(残業手当)の請求という事例を、SRネット(social resources net work)鹿児島が専門的な解説を含め、問題解決の手順をご紹介いたします。

経営者の反応

社長と弟の専務だけで問題を解決しようとしたため、元社員Fに足もとを見られてしまったようです。
さらに、現有社員にも問題が波及する恐れがあることから、今後の再発防止策を含めて社会保険労務士事務所に相談に駈け込んできました。

元社員Fの言動には多少恐喝的な要素もあるため、SRネットの仲間にも声をかけて、E社再建のために総合的な解決方法と今後の対策を指導することにしました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:宮原 和利)

まずは、労働基準法に従って元社員Fに支払うべき残業手当額を社会保険労務士と協力して算出する必要があります。
このことについては早速実行しました。 元社員Fとの交渉の経緯は次の通りです。

元社員Fは、労働基準監督署に聞いて再計算したら、不足額が250万円になったと主張していますので、元社員Fによる250万円の算出根拠を明らかにさせ、過剰請求がないかどうかを検討し、不当な請求があれば指摘し、正当な請求に対しては、請求を認めるという方法でE社が元社員Fに支払うべき残業手当の額を確定するようにしました。
F社員も渋々ながら納得したようすです。
E社の残業手当の単価計算や時間外労働時間の計算に問題があることは明らかであり、このような状態が相当長期間にわたっていたことも事実です。
しかし、労働基準法による賃金その他の請求権は2年間で時効消滅することから、過去2年間分につき支払うべき残業手当額を算出させました。この作業については、社会保険労務士が相当苦労したようです。

そして、元社員Fとの間で和解書を作成のうえ、支払いを済ませることになりました。
Fは、もともと勤怠データを全期間持っていたわけではありませんので、E社と社会保険労務士の算出したデータに意義を唱えるわけにはいきませんでした。
このような場合には,E社単独で再計算を行うよりも、第三者である社会保険労務士が計算結果を導き出した、ということの方が説得しやすいものです。

本来は、E社に苦労させることが、今後のリスクマネジメントの良い薬となるのですが、状況が状況だけに仕方ありませんでした。
問題は、他の社員に対する影響です。

時間外労働に対する割増賃金の違反については、6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金という罰則規定があります。(労働基準法第119条1号、同法第37条)
E社には、この際全社員に残業手当差額を計算し直し、支払うべき割増賃金については、この際思い切ってすべて処理してしまえ、といっておきました。
E社は社会保険労務士に泣きついたようです。

今後のE社の是正は、社会保険労務士に任せることにしました。
ただし、早期に遵法化しておかないと、第二、第三の社員Fが現れたときに、今度は言い逃れできませんし、私共も一切手を貸さないと、厳しく忠告することを忘れませんでした。

もう一つの問題は、元社員Fが最初の日は立会人2名を帯同し、翌日は立会人4名を帯同してE社の社長との面会を求め、最初の日は150万円を翌日は250万円を過去2年分の残業手当として請求し、その際「在籍社員にも法律はこうなっているんだよと話をしようと思っています。」という言葉を発したことです。
この言葉にE社の社長と専務は震え上がっています。

在籍社員に対する法律の説明自体は特に違法なことではありませんが、元社員Fの意図がE社の社長や専務を困惑させ、不安の念を抱かせて不当な金員を請求するところにあったときには、恐喝(未遂)が成立する可能性もあります。
また、元社員Fの意図については、法律上支払うべき残業手当を算出し、それが例えば数十万にすぎないような場合に、150万円あるいは250万円の請求をしているのであれば、元社員Fの請求行為は権利行使に名を借りた脅迫として恐喝(未遂)の成立する可能性が十分にあります。
このことを和解条件に盛り込むことはできませんが、交渉の過程においては、問題の飛び火を防ぐ効果をもたせることはできるでしょう。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:保崎 賢)

E社を訪問して、社長と専務に面談して業務の実態を調べてみました。
退職した社員Fは、主にフォークリフトの点検・修理を業務としており、自社工場内での作業や取引先に出向いての作業に従事していました。
在職中には、たびたび取引先からのクレームがついたり、社員同士のトラブルを発生させたりしていましたので、専務が見かねて退職の勧奨をした事実もあったようです。
しかし、向こう気の強いFは、先月自ら退職願いを提出して退職したとのことです。

勤続年数は3年未満でしたので退職金もありません。 かつて、週44時間労働制から週40時間労働制に移行した際は、何らの生産性向上対策も行わないまま、従来と同じ賃金制度・労務管理手法を維持していました。
実質上の賃上げのみ行った結果となり、E社の経営は良くなるどころではありませんでした。

社員Fは中途入社でしたが、最初から実態とマッチしない「役職手当」をつけて格好だけはつけていたようです。
これまで社員から給与についての申し立てを受けたことなどなかったE社は、これに甘えてかなり放漫な労務管理を行っていたといえます。
多くの社員は、会社にいるうちは裏では愚痴をいいながらも我慢しているものです。
しかし、一旦退職すると(退職を決意すると)と人は変るもので、今回ような問題が起こる可能性が非常に高くなります。

E社の就業規則では、1年単位の変形労働時間制をとっていました。
給与規定は昭和50年代の頃のものが形だけありましたが、給与については社長と専務が世間相場を気にしながら、二人で毎年決めていたということです。
ここ数年は、定期昇給も2,000円程度でした。残業手当については、自社の工場内での作業分についてのみ支払い、時間外労働時間の計算では、日ごとの30分未満は切り捨て、30分以上1時間未満は30分として取り扱っています。
また、割増賃金の基礎となる賃金に、役職手当等を算入していませんでした。

必要な情報を仕入れた後で、まず、社長と専務に次のような説明を行いました。

1. 割増賃金の意義は、労働基準法が規定する法定労働時間(週40時間)、週休制の原則(毎週少なくとも1回の休日)の維持をはかるとともに、過重な労働に対する労働者への補償を行おうとすることにあること。(労基法第32条・労基法第35条)
2. 法定の労働時間を超えて労働させたり、休日に労働させたりするためには、労使協定を結ぶこと。(労基法第36条)
3. 時間外労働、休日労働、深夜労働の別によって、次の割増率以上で計算した割増賃金を支払わなければならないこと。
時間外労働 1.25   休日労働 1.35    時間内深夜労働 0.25
時間外深夜労働 1.5  休日深夜労働 1.6 (労基法第37条)
4. 割増賃金の基礎となる賃金に算入しないもの
?家族手当 ?通勤手当 ?別居手当  ?子女教育手当
?住宅手当 ?臨時に支払われた賃金 ?1ヶ月を超える期間
ごとに支払われる賃金(労基法施行規則第21条)
5. 時間外労働時間の端数の取り扱いについて 30分未満を0に、30分以上1時間未満を30分にという計算方法は、労働基準法第24条の賃金の全額払いに反することになります。
同条は、賃金の支払の五原則として
?通貨で ?直接労働者に、?その全額を支払わなければならない
?毎月1回以上 ?一定の期日を定めて支払わなければならない、
と規定しています。

割増賃金計算における端数処理については次のような通達が出されています。 (昭和63.3.14 基発150号)

(一) 1ヶ月における時間外労働、休日労働及び深夜業の各々の時間数の合計に1時間未満の端数がある場合に、30分未満の端数を切り捨て、それ以上を一時間に切り上げること。
(二) 1時間当たりの賃金額及び割増賃金額に円未満の端数が生じた場合、50銭未満の端数を切り捨て、それ以上を1円に切り上げること。
(三) 1ヶ月における時間外労働、休日労働、深夜業の各々の割増賃金に1円未満の端数が生じた場合(二)と同様に処理すること。
6. 割増賃金の基礎となる賃金の計算について。
月によって定められた賃金については、その金額を月における所定労働時間数(月によって所定労働時間数が異なる場合には、1年間における1ヶ月平均所定労働時間数)で除した金額(労基法施行規則第19条4)

1ヶ月の平均所定労働時間数=(365ー年間休日)×1/12÷1日の所定労働時間数

7. 賃金(退職手当を除く)、 災害補償等の請求権は2年間、退職手当の請求権は5年間の時効があること。(労基法第115条)

 

上記1?7は、本当に基本的なことですが、守られていない会社が多いことも事実です。そして、トラブルが発生した場合には、この1?7までの法適正が問われることとなることをしっかりと理解しておきましょう。

E社の場合も例外ではありません。退職した社員Fから2年間分の残業手当の請求をされても何の抵抗もできないのです。
社員Fに何らかの形で対応しなければ、労働基準監督署に申告され、監督官により全社的な是正勧告を受けることになります。

以上の説明をしたところ、本当にFの請求金額は妥当なのかどうか、検討してほしい旨を依頼されました。
退職した社員Fの要求書には、最近の給与明細のコピーと作業日報のコピーが添えられただけで、2年分の残業手当の請求は逆算での推定額と考えられました。 早速、弁護士とも相談して、次の順序で作業にとりかかりました。

退職した社員Fのタイムカード2年分を引き出して貰い、所定勤務時間午前8時30分から午後5時30分に対し、8時間を超えた時間を1日ごとに分単位で出していきました。
8時30分前に出社した10分や17分、また5時30分以降の5分や20分を細かく集計していくと、給与明細書上の時間外労働時間よりもかなり上回っています。
次に退職した社員Fの作業日数とタイムカードを突き合わせてみると、E社工場内での作業は、ほぼ時間が合っていましたが、取引先(事業場外)での作業時間は、不明瞭でした。一人で作業現場に出向き、修理・点検を行い、会社に帰って来て、タイムカードを押す、現場は本人に任せきりですので、会社は作業日報を翌日見ることでしか労働時間の把握は出来ていませんでした。
E社の社長が云うように、時間外手当てを支払ってまで、働いてもらうと、修理代、点検料とは採算が合わない、ということも解らないでもありません。

退職した社員Fは在職3年ですが、他社での同種業務の経験もあり、仕事的にはベテラン社員といえます。在職中は勤務時間の勝手な運用について、十分承知していたように考えられます。

さて、月ごとの時間外労働時間を合計し、30分未満は切り捨て、30分以上は1時間に切り上げて、2年間の集計をしてみると1064時間になりました。
これを基に、正しく時間外計算をすると、退職したF社員の2年間の残業手当は、1,999,256円になりました。
これから既に支払っている536,568円を差し引くと、1,462,688円という数字が出ました。
時間外手当の単価算出についても、役職手当をはじめ必要な手当が加算されていませんでしたので、E社が考えていたよりも高額の結果となりました。

弁護士とも相談の上、この金額を支払うことで退職したF社員とは和解書を作成することになり、何とかこの問題を肥大化させずにすみました。

重要なのは今後の対策です。
常日頃から労働時間の把握を徹底し、労働者に今何時間の労働をさせているか、あと何時間労働させればいいのか、現場の監督者がきちんと把握しなければなりません。

そして、E社の社長と専務には次の点を指導しました。しばらくは継続的にコンサルティングを行う予定です。

 

1. 各社員の出社・退社時間した時間を必ず確認すること。
そして作業日報に、作業内容の外、実作業時間も明記するよう徹底すること。
. 事業所外で労働する場合には、みなし労働時間制を適用すること。

? 原則として、実際の労働が所定労働時間に満たされない場合でも、所定労働時間労働したものとみなす。
? 当該業務を遂行するためには、通常の場合所定労働時間を超えて労働することが必要である場合に、たとえば、8時間のほか2時間の時間外労働が必要と見込まれる場合には、10時間労働したものとみなす。
? ?の場合であって、必要な時間を労使協定で決めたとき、たとえば、11時間と協定したときは、その時間に必要とされる時間に多少のズレがあったとしても、協定で定めた11時間労働したものとみなす。

注)みなし労働時間制を採用するためには、労働者の労働時間の算定が困難であることを必要としますので、次の場合は、みなし労働時間制の適用はありません。
? 何人かのグループで事業場外労働に従事する場合で、そのメンバーの中に労働時間の管理をする者がいる場合
? 事業場外で業務に従事するが、無線やポケットベル等によって随時使用者の指示を受けながら労働している場合
? 事業場において、訪問先、帰社時刻等当日の業務の具体的指示を受けたのち、事業場外で指示どおりに業務に従事し、その後事業場にもどる場合
3. 定額制の残業手当の採用を検討すること。
行政取り扱い上も「時間外労働を行う労働者に対して支給する超過勤務手当が定額のものであっても、法で支払を義務づけられている計算による金額を上回る場合には、その差額分を当該期に支払うことが明示されていれば、その手当全体を超過勤務手当の一部又は全部と見てさしつかえない」(昭和52.3.7 基発119号)と認められています。
場合によっては、役職手当や営業手当の支給基準を見直すことで、インクルーズとすることができるかもしれません。
4. 時間外労働協定を即締結すること。
現在は、締結されていませんので法違反をしていることになります。
5. 就業規則を再度見直し、労働時間、服務規定を現状に合うように定めること。
6. 特に給与規定の見直しは専決事項で、給与体系、手当等を見直しすること。

税理士からのアドバイス(執筆:森征 一郎)

賃金差額には、源泉所得税が発生します。
このトラブルによる退職後の支払金が、「何所得」になるか検討しなければなりません。

事件解決の補償金が退職後に支払っているので退職金のようにも思えますが、事件の概要やその問題発生の背景から考えると、この所得は「給与所得」に該当することになります。E社が元社員Fに在職中の残業手当の差額分として、2年間分を支払い、その全額がE社の残業手当の単価計算等の法定要件不備によって計算された数値であることからすることからしても間違いありません。

この源泉所得税の計算は、元社員Fの支給計算期間が2年に渡っているとのことですので、当年の各月分と当年前は対応する12月末(年末調整時)ごとに区分してやりなおし、源泉徴収し、E社が納付しなければなりません。当然、住民税の額も違ってきます。
なお、この時の支給額および源泉税額の計算資料は、後々税務調査(経費および源泉税)の時の為にも残しておかなければなりません。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRアップ21鹿児島 会長 保崎 賢  /  本文執筆者 弁護士 宮原 和利、社会保険労務士 保崎 賢、税理士 森征 一郎



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