第42回 (平成17年8月号)
終業時間後のヘアカット練習は労働時間?
それとも自主活動!?
終業時間後のヘアカット練習は労働時間?
それとも自主活動!?
SRアップ21鹿児島(会長:保崎 賢)
相談内容
「みんなお疲れさま。ざっと掃除して上がってくれ。さて、カットモデルを2名用意しているので、今日はA君とBさんで頑張ってね。今日のテーマはショートカットだよ」Y社本店の店長が声をかけます。
Y社では、週に1?2回、終業時間後(午後9時)にアルバイトのカットモデルを頼み、新入社員たちの研修に当てています。R社長は、「一人でも早く一人前になって、顧客を任せられるようにしたい。」という思いからこのような制度を取り入れました。しかし、社員たちの反応は「確かに練習できてありがたいけど、居残り残業だよな…」という思いが大半のようです。
また、技術の思わしくない社員ほど研修を指示されるので「またか…」という気持ちが強く、練習にも気が入りません。「研修に立ち会う店長には、指導手当として、給与とは別に1回1万円もらっているみたいだよ」「その1万円は本当は私たちを食事に連れて行けるように、という社長の気持ちらしいのだけれど、一度もご馳走になったことなどないわ…」
ある日、研修を指示された社員のA君が店長に言いました。「練習させていただいてありがたいのですが、今日は予定がありますので帰りたいのですが…」店長は「モデルまで用意しているのだからだめだよ、ちゃんと練習していきなさい。」と譲りません。A君はだまって店を出ていきました。
相談事業所 Y社の概要
-
- 創業
- 昭和58年
- 社員数
- 24名(パート 2名)
- 業種
- 美容業
- 経営者像
市内に2店舗の美容院を経営するY社のR社長は、まだ45歳の若さです。決め細やかなサービスと確かな技術を売り物に、今後も店舗を増やす構想をもっています。そのため、美容師の確保と技能向上には、かなりの力を注いでいます。従業員には“兄貴”のような存在でありたいと常々思っています。
トラブル発生の背景
Y社のヘアカット練習は、社員たちの自主的活動ではなく、また、会社が実施する参加自由な研修でもなかったようです。社長の善意はあるものの、社員たちの意思にかかわりなく、店長の指示で強制的に練習させていたことが問題となりました。
店長には、1回1万円の手当が出ていましたが、これを我が物として私腹を肥やしていたことも、社員たちには気に入らなかったようです
Y社の社長と店長は、労働時間と研修に関する法律的な理解ができていませんでした。
経営者の反応
「A君が辞めただと!」本店店長の報告を聞いて、R社長は驚きました。「あれほど手間をかけてやったのになんだよ。店長の指導がよくないんじゃないか?」今度は店長に八つ当たりです。「実は、BさんやCさんも辞めたいといっているのです…」店長がおずおずと話し始めました。研修は居残り残業だということや、日々の長時間労働のことが引き合いに出されたことを報告しました。ただし、店長自身に向けられた手当の着服については黙っていました。
R社長は、「彼らのことを思っていろいろとやっていたのに、嫌だったということか?とにかく、明日話し合うから引き止めておけ。」と店長に言いつけると、「誰かに相談したほうがいいかな…」と頭を抱えてしまいました。
弁護士からのアドバイス(執筆:鑪野 孝清)
どの会社においても、内容や程度の違いこそあれ、新入社員に対する教育訓練、いわゆる新人研修を行っていると思われます。この新人研修は、会社側から見れば、社員の技能を向上させることによって会社の競争力を高めることを目的とするのでしょうが、一方の社員個人にとっても、研修を受けることが自らの能力を高める機会となり、今後の職業生活に大いにプラスになる面もあると思われます。特に、本件Y社の研修内容とされている美容師のカット技術などは、それを向上させることによって、昇進の可能性も高まり、転職さらには独立して起業する場合にも有利となるでしょうから、研修を受ける社員個人が受ける利益も少なくないと考えられます。それだけに会社側は、社員個人のためを思って教育してあげているという意識が強くなりがちで、R社長も、そのような意識を強く持っているようです。ただし、このような研修の実施には法的な問題も含まれており、それをないがしろにすると、本件のようなトラブルを招くことになりかねません。
以下、研修の実施に含まれる法的な側面について説明致します。
●研修は労働時間に含まれるか?
まず、会社が実施する研修につき、これが業務の一部として「労働時間」に含まれるべきものかどうかが問題となります。
「労働時間」の意義について、通説・行政解釈は、「労働者が使用者の指揮監督のもとにある時間」と定義しています。菅野和夫教授は、労働時間か否かの問題は、労働者の活動を私的な活動と使用者の業務への従事とに区別する場合にも生ずる問題であるとして、「労働時間」を「使用者の作業上の指揮監督下にある時間、または使用者の明示または黙示の指示によりその業務に従事する時間」と定義した上、所定労働時間外に行われる企業外の研修・教育活動、企業の行事への労働者の参加は、それが義務的で会社業務としての性格が強ければ労働時間となるとしています(菅野和夫・労働法 弘文堂)。
この解釈に基づいて考えた場合、研修が「労働時間」の一部かどうかの判断基準は、
(1) 参加が義務的かどうか
(2) 研修が会社業務としての性格が強いかどうか
にあるといえます。
(1)の「参加が義務的かどうか」については、研修への参加が会社の指示命令によるものか、あるいは社員の自主的な判断によって研修への参加・不参加を決めることができるかどうかによって判断することになります。
(2)の「研修が会社業務としての性格が強いかどうか」については、会社の本来的業務と研修内容との関連の程度、研修に参加することが待遇・昇進面で何らかの利益・不利益になるのかどうか、などが判断要素として考えられます。
Y社の場合、研修に参加するかどうかについて社員側に判断の自由はなく、R社長の指示により研修に参加させていたものであり、その参加は義務的であったといえます。
また、研修に参加することで待遇面での利益があるのか、あるいは不参加の場合の不利益があるのかについては、本件では明らかではありませんが、そもそも美容室の社員に対してカットモデルを用意してカットの練習をさせるという研修内容それ自体、Y社の本来的業務と密接不可分な性格のものであるといえます。お店の閉店後に店内で研修するという、研修の時間・場所の設定内容も、Y社の本来的業務との密接不可分性を強めているといえるでしょう。
したがって、Y社が実施する研修は、明らかに労働時間に含まれるものであるといえます。なお、所定労働時間外での研修なので、いわゆる残業手当の支給も必要になると思われます。
● 会社の指揮命令権はどこまで及ぶか?
研修が会社の業務の一部であり労働時間に含まれるものであるとすれば、次に、残業手当の支給等の要件を満たしさえすれば、会社側は強制的に研修に参加させることができるのかどうかが問題となります。
一般論として、会社は社員に対して、業務遂行のために指示・命令する権限を有するとされます(業務命令)。業務命令をすることができる根拠は、会社と社員との労働契約にあるといわれます。社員は、会社に対して一定の範囲での労働力の自由な処分を許諾して労働契約を締結するものであるから、その一定の範囲での労働力の処分に関する会社の指示命令としての業務命令に従う義務があると考えられるのです。逆に言えば、会社が業務命令によって指示命令することができる事項かどうかは、社員が労働契約によってその処分を許諾した範囲内の事項であるかどうかによって定まるものであり、これは結局のところ具体的な労働契約の解釈の問題に帰するものであるとされます(最高裁昭和六一年三月一三日判決)。
また、所定労働時間外で実施された技能訓練への参加を命ずる業務命令が有効かどうかが争われた事案では、大阪地裁が「訓練の計画や実施は会社の業務上当然に必要なものといえ、どのような日程、時間帯、内容で訓練を行うかについては、経営判断に基づく会社の裁量権があり、会社が明らかに不合理な計画を策定したり、従業員に対して必要以上の過重な負担を強いるなど、会社が裁量の範囲を逸脱して計画を策定したと評されるような事情がない限り、会社の判断は尊重されるべきである」旨判示し、「時間外労働として実施される訓練に参加すれば、退社時間が遅くなるなど、従業員の負担が増加することが容易に推測されるものの、訓練の必要性、訓練が比較的短期間に設定されていること、訓練日に支障がある場合の予備日が設定されていることなどの事情に照らせば、訓練計画には相応の合理性があったといえる」と結論付けています(大阪地裁平成一〇年三月二五日判決)。
● さて、本件の場合は…
本件のY社の場合、研修内容は本来的業務と密接不可分なものであり、研修の必要性も高いといえるので、原則的に会社には社員に対して時間外研修を命令する権限があるといってよいでしょう。
ただし、例外的に研修命令の合理性を否定されないようにするためにも、例えば、研修の日時と対象者をできる限り早めに確定した上、対象者に事前の周知をしておく、予定された研修日に支障があって研修に参加できない対象者のために予備日を定めておく、あるいは、複数の研修日を設定して対象者にそのうちのひとつを選択させるなど、対象者があらかじめ時間外研修があることを予定に入れることができるように配慮すればよいのではないかと考えます。
社会保険労務士からのアドバイス(執筆:北野 公朗)
所定労働時間終了後における研修、講習、あるいは自己啓発のために会社主催で行われる研修等への参加については、「参加することが強制されているのか」、「自由参加でよいのか」が、労働時間となるかどうかの基準となります。従って、会社から業務命令として参加することが強制されると、労働時間として取り扱わなければなりません。しかし、自由参加の形式をとりながら「今後の処遇等において不利益な取扱いがなされるのではないか」と従業員が疑問を感じ、半強制ではないのかといった場合の取扱いが問題となりますが、この点では自由参加であるのか、強制されているのかの判断に困惑することが現実であろうと思われます。
自由参加で、処遇、就業規則等においても不利益な取扱いはないが、職場において他の従業員への配慮もあって自主的に参加するような場合であっても、次のような場合は、これを労働時間とするのが妥当です。
形式上では自由参加としているがその自由参加を否定する場合として、(1)業務を遂行する上で、欠かせない内容を含む場合。(2)その研修が、業務を遂行する上で、直接必要な内容を含む場合(参加しないことにより本人の業務遂行に具体的に支障が生ずるような場合)(3)事業を運営するために、職場秩序、組織維持の上で、不可欠であり、全員参加すること自体に意味があると認められ場合?その外、業務上の必要により実施される教育等が該当します。
会社の発展と従業員の資質向上を目的に、本件Y社のように通常の業務のほか研修会、委員会活動等を休憩時間や業務終了後に行うことがありますが、従業員の技術水準向上のための技術教育をY社のように行った場合、参加した時間が労働時間に当ることは弁護士の説明したとおりです。
会社における研修の実施について、入社時からの教育体系が定められ、新入社員教育、主任者教育、管理職研修、幹部研修とその立場に応じた研修が充実しているケースが多い中にあって、中小企業では即戦力を期待し、教育に多くの時間と費用をかけられないのが現状ではないかと思われます。しかし、企業が運営される要素は、「人、物、金、情報」と言われています。物も、情報も、「人」によって生産され、加工されて金という利益を生んできます。そして物、情報に対し永続的に再投資が行われ企業が活性化します。
その「人」の能力が会社の資本であり財産です。技術向上のための研修が所定労働時間内に行われる場合は、社員もその研修を確実に自らの技術向上に努めるべきですので問題ありませんが、終業時間後に行われる教育研修は、その研修の意図する目的が「その研修や教育が業務を行ううえで必要な研修であり、自由意志であるとして参加しない場合に、業務を行うに際し、支障が発生することはないのか」に該当するのか否かの判断が必要となってきます。労働者のために行っていると思いながら、実際のところ企業業績向上のために行っている研修が多く見られるところです。
それでは、現代の若者たちがどのような意識をもって仕事に取り組んでいるのかを考えたとき、財団法人社会経済生産性本部・社団法人日本経済青年協議会によって行われた平成16年度新入社員「働くことの意識」調査報告書では、新入社員は、約6割が「進んで苦労すべきだ」(表1)と考えており、
仕事に対する意欲は充分なものを持っています。また、社会に出て成功するための条件として「個人の努力」をあげている場合が半数以上であり、四人に一人が「個人の能力が必要」だと考えています。(表2)
R社長においても、この美容師の仕事に就いたときは、「進んで苦労すべきだ・努力だ」と思い、寝食を忘れるほど技術力の向上に努めてこられ、現在の状況になったことが自信となっています。競争の激しい美容業界においてはR社長の考える「きめ細かなサービスと確かな技術を売り物」に他社との差別化を図らなければ企業存続にも影響してきます。このような危機感を持ち行われる能力向上教育について、導入の趣旨を間違えますとR社長にとっては「思いやり」であっても、A君たち社員にとっては、居残り研修としか思わなくなり、R社長にとっての「思いやり研修」も「研修をしたから技術力が向上しただろう」というR社長の思い込みだけで、Y社全体としてどれだけの成果があったかについて疑問を持たざるを得ません。
R社長は今後も新店舗展開を考えており、技術力のある美容師を求めています。しかし、自主研修と称して強制的に研修を受けさせていくようですと、R社長の計画に反し、社員の退職が続き店舗展開もままならず、「店舗は出したが、美容師がいない」という事態に陥ってしまいます。
Y社は、今後の研修のあり方として、教育には時間と費用がかかるということを理解したうえで、Y社全体、社員毎の美容技術基準を定め、まず所定労働時間内において技術向上のためにどのような具体的行動を起こさなければならないかを店長と社員を交えてミーティング、実践を重ね、研修が終業時間後に行われる場合、研修の位置付けについての取扱いを決めた上で、時間を明確にして社員に周知していくことが必要です。研修の設定についても、弁護士が提案したように期間ごとの計画を作成し、実施していく配慮が必要です。さらに、基準に到達した労働者を含め全社員に対して、R社長、店長が、自らの体験をふまえ、利用者のニーズに対しては常に提案できる技術力の必要性があること、将来職人となり、現在の職場を離れて独立した時は、そのことが本人の利益になることを繰り返し話し理解させることがY社全体における活性化となることを理解したうえで、社員への研修を行うことが重要です。
税理士からのアドバイス(執筆:林 高宏)
給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る所得のことをいいます。(所得税法第二十八条1項)
よって、一般にサラリーマンが勤務先から受け取る金品は、その名称のいかんを問わず所得税法では給与所得となり課税の対象になります。しかし、一部には例外規定があり非課税とされているものもあります。
例えば、学資に充てるため給付される金品(給与その他対価の性質を有するものを除きます。)については、所得税は非課税とされています。(所得税法第九条1項一四号)
具体的には、所得税法基本通達で、使用人等に対し技術の習得等をさせるために支給する金品(九―一五)、使用人に対し学資に充てるために支給する金品(九―一六)をあげています。
これらのものについては、使用者が自己の業務遂行上の必要に基づき、職務に直接必要な技術・知識・免許・資格を取得させるための研修会等の出席費用・大学等の聴講費用に充てるものとして支給するものという条件つきで、課税しなくても差し支えないものとされています。
また、所得税法基本通達二八―一(宿日直料)においては、宿直料又は日直料を原則給与としながらも、但し書きにおいて、勤務一回につき四、〇〇〇円(食事が支給される場合は四、〇〇〇円から食事代を控除した残額)までの部分は課税しないこととしています。
これは、宿日直料は、宿直又は日直という勤務の対価としての性格を有する一方、その勤務をすることにより負担を余儀なくされる費用の弁償としての性格も有するわけです。このため、その勤務一回につき支給される金額のうち一定金額までの部分については、費用の実費弁償に該当するものとして課税しないことにしているわけです。
ところで、現在では勤務先から支給される手当には様々なものがあります。質疑応答集などを読むと、建築士・ボイラー技師・危険物取扱主任者等の資格については、職務を遂行する上で直接必要なものとして認めているようですが、税理士・中小企業診断士等の資格については個人に一身専属的に帰属するものとして認めていないようです。
また、最近、従業員の福利厚生に対する不公平感を少なくするため、カフェテリアプランと称する、いろいろな福利厚生メニューから従業員が各自の持ち点の範囲内で自由に選択できる制度がありますが、そういったところで見られるスポーツクラブ及び各種スクール費補助等については、業務上直接必要なものとは認められていないようです。
一見、課税される手当と課税されない手当の区分が分かりにくい感じですが、大学教授が大学から支給される研究奨励金の取扱いが参考になりそうです。
実務では、その教授から使途の明細を提出させるなどして、大学が直接購入すべきものをその教授を通じて支出したものと認められるものについては、給与として課税しないことになっています。
つまり、給与としての課税をさけるためには、先にあげた例外規定のいずれかに該当し、なおかつ、その事実を書類等で明確にしておく必要があるわけです。
さて、本件における店長の研修付き添い手当1回1万円ですが、先に述べた例外規定のいずれにも該当しないため、給与として課税されます。その資金出所が社長のポケットマネーの場合、後日税務調査があった場合に本来なら調査対象とならない社長の個人資産も調査の対象になる可能性がありますので、なるべく会社の経理を通して出金する方がいいでしょう。税務調査官は、通常と異なるお金の流れを見ると詳しく調べたくなるものなのです。
なお、店長に手渡された手当が、スタッフとの飲食代、残業夜食代、タクシー代などに使われていた場合、これは原則として会社経費になるものと考えられます。
これらは、職務に直接必要な技術を習得するために行われた残業に対し、その慰労及び従業員相互間の親睦を深めることを目的に会社から支払われたもので、遊興目的のものとは趣旨をまったく異にするものです。従って会社の業務との関連性が認められますので、必要経費に該当します。
ただし、そういったことが普遍的に行われる必要性があります。つまり、特定のものだけを対象にしてはいけません。全従業員を対象に平等に実施されるものでなければならないわけです。たとえば、研修規定を作成することも税務対策上効果があると思われます。
また、研修参加者には研修レポートなどを作成させ、研修の事実を書面で残すことも税務対策上は有効かと考えます。
このように書類で事実関係をきちんと整理しておき、金額も世間一般の常識の範囲内であれば、特に税務調査でも問題になることはないと考えます。
社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
SRネットは、全国展開に向けて活動中です。
SRアップ21鹿児島 会長 保崎 賢 / 本文執筆者 弁護士 鑪野 孝清、社会保険労務士 北野 公朗、税理士 林 高宏