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第199回 (平成30年8月号) SR愛知会

「1年勤めたのだから退職金はあるはず!貰えたはずの退職金分を払って!」
「試用期間後からの積立加入だからない!」

SRネット愛知(会長:田中 洋)

T協同組合への相談

D社は雑誌や書籍の編集を行っている会社です。どんな依頼でも対応するため、業界での信用は高く、少しずつ社員も増えていきました。未だに現場で活躍する社長は、経営や労務などについては無頓着な部分がありますが、特に今まで大きなトラブルなくやってきていました。
Eさんは、出版業界に憧れて入社してきましたが、今まで編集経験もなく、地味な作業と残業の多いD社に不満をもつようになり、結局1年で退職することになりました。退職後、Eさんから「退職金がないのはおかしい」と電話が入りました。D社は中小企業退職金共済(以下、「中退共」という)に加入しており、Eさんが問い合わせしたところ、支払えないと言われたようです。

D社の中退共加入は今まで試用期間満了後、正社員となってから加入していました。このためEさんも6カ月の試用期間満了後、加入となっていました。ただ、中退共の加入について就業規則にはっきりした明記はなく、「今までそうやってきたから…」という慣習での加入でした。Eさんにも、入社の際、口頭ではそのように説明したのですが、本人は「聞いてない!勤続1年なら退職金対象のはずだ!会社で退職金分を補償しろ!」と話し合いになりません。金額自体は大きな額ではないものの、今までこんなことはなく、困った社長はT協同組合へ相談をしました。

相談を受けた事務局担当者は専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。

相談事業所 組合員企業D社の概要

創業
1988年

社員数
正規15名 非正規10名 

業種
雑誌・書籍編集業

経営者像

出版会社から独立した社長。専門はあえて作らず、依頼された編集や書籍作成を黙々と行い、業界の信用を得てきた。
基本的にプレイヤーのままで、会社の経営や労務関係については、任せっきりな部分がある。


トラブル発生の背景

退職金支払いについてのトラブルです。

退職金があるはずというEさん本人の主張と、退職金はないという会社の主張が平行線となっています。

ポイント

中退共への加入制度はあるものの、長年の慣習からの加入で、就業規則等ではっきりした加入時期が示されていません。このため、本人は退職金があるはずと思い込み、会社は説明もしたし、支払う退職金はないというスタンスです。
このまま退職金は支払わなくても問題はないでしょうか?Eさんへの対応も含め、今後の注意点などD社の社長へ良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:橋本 修三)

1 退職金制度について
退職金は、その支払が使用者に法律上義務づけられるものではありません。退職金は、原則として、労働契約、就業規則、労働協約によって規定した場合に支払義務が生じるもので、退職金制度を設けるか否か、どのような内容とするかは使用者の裁量に委ねられています。
D社の就業規則には退職金(中退共への加入など)について明記されていないことから、原則として、D社に退職金支払義務はありません。

 

2 支払の慣行がある場合
もっとも、就業規則等に退職金を支払う旨の明確な規定がないときでも、支払う旨の労使慣行が確立している場合には、慣行に従った退職金支払義務が生じます。

 

3 裁判例
裁判例では、「労使慣行により、支給条件が明確となり、当事者の規範的意識として使用者の支払義務があると理解されるに至っており、退職金支給が雇用条件の内容となったと認めることができる場合には、同慣行により支払を認める余地があるものと解される」(東京地判 平成17年11月2日)とされています。
労使慣行に基づき退職金の支払義務を認めた裁判例としては、明文の退職金規程は存在しないが一定の基準に基づく退職金算出方法で算定した退職金が支払われていた事例(東京地判 昭和51年12月22日)、正規の退職金規程は制定されていなかったが、当初に案として作成・書面化された退職金規程に基づいて退職金を支給する実績が積み重ねられていた事例(東京地判 平成7年6月12日)などがあります。他方、支払義務を否定した裁判例としては、一部の従業員にしか退職時の金員の支払や中退共への加入がなされておらず支給基準が明確でないとした事例(東京地判 平成17年11月2日)があります。

 

4 D社の支払義務
D社は、これまで中退共に加入することで社員に対する退職金支払いを行っているようですので、D社には退職金の支給基準も支給実績も存在しないと考えられます。そうすると、前記裁判例の規範に照らせば、D社には退職金を支払う旨の労使慣行も確立しているとは認められず、Eさんに対して退職金の支払義務もないと思われます。

 

5 Eさんの主張について

これに対し、Eさんは、加入後1年未満であることを理由に中退共からの退職金支払を受けられなかったことから、D社に対して、勤続1年間に相当する退職金相当分の補償を求めています。仮に、D社とEさんとの間で、Eさんの入社後直ちに中退共に加入させることが労働条件として合意されており、D社がこれを怠った結果として、
Eさんが中退共からの退職金の支払を受けられなかったような場合には、D社は、Eさんに対して、勤続1年間に相当する退職金分の損害賠償義務を負う可能性があります。しかし、本事例では、D社とEさんとの間で、そのような合意はなされていませんので、D社に労働契約上の義務違反はなく、損害賠償義務は負わないと考えられます。
Eさんは、自身の労働条件に対する誤った認識から、退職金相当分の補償を求めていると考えられます。こうしたEさんの誤解は、あらかじめD社において、退職金の有無、中退共制度を利用すること及び同制度の加入時期等について就業規則や労働契約書等に明記しておくことで避けられたと思われます。D社の社長は労務については無頓着だったようですが、今後は、紛争の予防という意味で、労働条件を明確にしておくことをお勧めしたい思います。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:墨 華代)

1 制度の概要
中退共制度は「中小企業退職金共済法」に基づき設けられた制度で、運営しているのは独立行政法人勤労者退職金共済機構・中小企業退職金共済事業本部です。加入できるのは中小企業で、業種、常用従業員数、資本金・出資金により加入条件があります。掛金月額は、従業員ごとに任意に選択でき、全額事業主負担(新規加入後1年間は国からの助成があり)です。原則として全従業員を加入させることが必要ですが、試用期間中の者などは加入させなくてもよいことになっています。そして退職金の支給を受けるには1年以上の加入期間が必要で、退職したときは、その従業員に中退共から直接退職金が支払われます。中退共制度は、法律で定められた社外積立型の退職金制度といえます。

 

2 トラブルの原因 加入期間
D社はEさんを6カ月の試用期間後に加入させたため、中退共の加入期間は6カ月間になりました。そしてD社の退職金は、中退共制度からの支払いとなっているため、退職金が支払われない結果となりました。試用期間は、会社が就業規則や雇用条件通知書に定めるものです。

 

3 退職金と退職金規程
一般的に、退職金は、一定年数以上勤務したものに支給され、長期勤続褒賞的意味合いと功労褒賞的色彩の2つの面があります。また老後の生活保障ともいえるものです。「退職金や賞与は、それを支給するか否か、いかなる基準で支給するかがもっぱら使用者の裁量に委ねられている限りは、任意恩恵的給付であって、賃金ではない。しかし、今日大多数の退職金のように、労働協約、就業規則、労働契約などでそれを支給することおよびその支給基準が定められていて、使用者に支払い義務があるものは賃金と認められる。」(昭22.9.13発基17号)とあります。
D社の就業規則に退職金に関する明記はなく、加入は慣習として(その慣習も規範として認識されるほどのものではないと思われます)、行っていました。ゆえにD社の退職金は、支払いを義務づけられる賃金の後払いとしての退職金ではなく、任意恩恵的給付としての退職金と考えられます。
就業規則に退職金について何らかの規定があり、過去に中退共加入の有無なく、勤続1年で支払をした事例があれば問題となりますが、Eさんは勤続1年と期間も短く、慣習としての処理で支払いをしなくてもよいと思われます。

 

 

4 対策
今回のトラブルは、入社時の労働条件等の説明不足に端を発しています。退職金規程には、退職金は中小企業退職共済から支払われるものを充てること、加入時期は試用期間が終わってからになることを明記します。退職金を、中退共だけで実施する場合の規定例をあげます。

 

≪退職金規程(例)≫
第1条 従業員が退職したときは、この規程により退職金を支給する。
2 前項の退職金の支給は、会社が各従業員について独立行政法人勤労者退職金共済機構・中小企業退職金共済事業本部(以下「機構・中退共」という。)との間に退職金共済契約を締結することによって行うものとする。
第2条 新たに雇い入れた従業員については、試用期間を経過し、本採用となった月に機構・中退共と退職金共済契約を締結する。
第3条 退職金共済契約の掛金月額は、別表のとおりとし、毎年4月に調整する。

 

そして、入社時には他の労働条件とともに、試用期間についても詳細に説明し、労働条件通知書や労働契約書を作成して、本人の同意をもらってください。これから先の会社の発展、従業員が安心して働ける職場環境の必要性を考えて、退職金規程等諸規程の整備を早急に進める必要がありそうです。

税理士からのアドバイス(執筆:中村 拓己)

税理士の立場から、法人D社からEさんへの退職金の支払いについて、コメントさせていただきます。

法人D社からEさんへ退職金を支払うことになった場合には、税務上は退職したかどうかの事実により判定します。このケースでは実際に退職していますので、法人が一時に支払えば、支払った法人D社では退職金として損金となります。所得税法30条には「退職所得とは、退職手当、一時恩給その他退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与に係る所得をいう」と規定されています。ただし、退職に際し、又は退職後に一時に支払われるものであっても、在職者に支払われる賞与等と同じ性質のものについては、賞与(給与所得)となります(所得税基本通達30-1)。どちらにしましても、法人においては損金処理(役員賞与は除く)にはなるのですが、受け取る従業員側では、どの所得になるのかによって所得税額が異なってきます。
退職所得の所得税額計算については、一般的に、「退職金の受給に関する申告書」の提出があった場合は、(退職金額−退職所得控除)×1/2に税率をかけた金額が税額となります。退職所得控除(勤続年数×40万円、勤続年数が20年を超える場合には800万円+(勤続年数−20年)× 70万円)がありますので、支給額が退職所得控除額以内であれば、税金は発生しません。勤続年数については、1年未満の端数があるときは、切り上げて計算します。例えば、1年1カ月の勤続の場合でしたら、勤続年数は2年となり、80万円の退職所得控除額となります。よって、中小企業において早期に退職する場合には、およそ所得税は発生しないと思われます。仮に源泉所得税が発生した場合は、支払月の翌月10日までが納期限ですので、忘れないよう注意が必要です。
また、「退職金の受給に関する申告書」の提出がない場合には、支払金額の20.42%を法人が源泉徴収して納税することになります。20.42% で源泉徴収された場合で、追加納税が発生する際は、所得税の確定申告が必要となります。追加納税が発生しない場合には、確定申告をすることで還付を受けることができます。
ところで、D社は中退共に加入していたとのことですが、中退共から支払いを受けることができていたとしましたら、受け取る所得は退職手当とみなす一時金として退職所得として取り扱われます(所得税法31条1号、所得税法施行令72条)。ただし中退共でも、退職の際に受け取るのではなく、中途解約された場合では一時所得となります(所得税法34条)。また、退職に基因 した解約であっても、一時に受け取らずに分割での受取りの場合は公的年金等の雑所得、死亡して遺族が受け取る場合にはみなし相続財産として相続税の対象となります。中退共の退職所得上の勤続年数については、原則掛けた期間となりますが、同年に中退共と法人からの退職金と両方を受け取った場合には、どちらか長い方の勤続期間(掛け期間)が勤続年数となります。
退職者が役員の親族等であった場合には、使用人であっても、過大退職金と判定されないよう注意が必要です。従事した期間、退職の事情、使用人に対する今までの支給実績や、同業種同規模の類似法人の使用人退職給与の支給状況を総合勘案して算定することが必要となってきます。過大退職金と判定された場合には、過大部分が法人税法上損金とならないことになります。お手盛りにならないよう注意が必要です。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット愛知 会長 田中 洋  /  本文執筆者 弁護士 橋本 修三、社会保険労務士 墨 華代、税理士 中村 拓己



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