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第197回 (平成30年6月号) SR山形会

「雇用契約書が遅かったので保育園を退園となった」
「ベビーシッター代を払って!」

SRネット山形(会長:山内 健)

C協同組合への相談

R社は社長のサービス精神と流行を感じ取るセンスから、急成長し、毎年中途・新入社員が増えています。
中途入社してきたNさんは、幼い子どもを保育園に預け、時には残業をこなすワーキングマザーです。正社員を希望していますが、未経験ということもあり、1年の契約社員として入社しました。契約更新の時期となり、会社としてはやる気もあり、徐々に仕事も任せられるようになってきたNさんを正社員とするか、もう少し経験を積んでもらってからということで、今回はまだ契約社員で更新とするのか検討していました。

Nさんからは、保育園の関係で、年度末までには新しい契約書が必要という連絡がありましたが、最終決定権がある社長が出張続きで、なかなかNさんの契約の話が進みませんでした。Nさんには「契約は更新するが、書類はもう少し待ってほしい」と伝えていましたが、そうこうしているうちに4月中旬となってしまい、Nさんから怒りの電話が総務にかかってきました。聞けば、通っていた保育園を書類不備で退園させられることになったというもので、「保育園を退園となれば、預け先がないので働けない!」「契約書を早く欲しいと言っていたのに会社のミスだ!」「今後も働く気だったので、どうにかしてほしい」「ベビーシッター代と保育園の保育料の差額を払ってほしい」と最後には涙声となっていました。

出張から戻ってきた社長はNさんの騒動に驚き、困ってしまいC協同組合へ相談をしました。相談を受けた事務局担当者は専門的な相談内容について、連携している地元のSR アップ21を紹介することにしました。

相談事業所 組合員企業R社の概要

創業
2001年

社員数
正規45名 非正規55名 

業種
サービス業

経営者像

なんでも屋だった社長は、次つぎに新業態進出や大手エステ会社とのフランチャイズ契約などで会社を大きくしてきました。社員思いの社長ですが、急成長したため社員一人ひとりとの対話は少なくなってきており、もっと社員と対話をしたいと考えてはいますが、海外との取引も増え、日本にいないことも多くなっています。


トラブル発生の背景

Nさんはきちんと会社へ書類について連絡をしていたものの、契約書の遅れから保育園を退園となってしまいました。他の預け先がなく、退職せずに働くためにはベビーシッターを雇うことになるので、その差額を会社に負担してほしいという要望です。

ポイント

会社としてはNさんには働いてもらいたい。Nさんにも退職せずに働きたい意思があり、そのためにベビーシッターをお願いせざるをえない状況なので、その原因となった会社に保育園の保育料との差額を払ってもらいたいと言っています。会社は支払う必要があるのでしょうか?
また、もしNさんが保育園退園のために退職となってしまった場合は、会社都合となるのでしょうか?

Nさんへの対応も含め、今後の注意点などR社の社長へ良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:村山 永)

認可保育園の入園申込みに際しては、一般に「就労(内定)証明書(勤務証明書等の名称もあるようですし、雇用契約書等で代用することもあるのかもしれません)」の提出が求められています。
これは、保護者の勤務形態、就労開始年月日、雇用期間、勤務時間、シフト制の有無、給与、休日、産前産後休業・育児休業の期間等について、雇用主が証明する形の書類ですが、入園希望者が定員を上回った場合の入園者選考において、保育の必要性がより高い家庭を選ぶための参考資料として利用されているものと考えられます。本問では、Nさんが最初の入園申込時に提出した雇用契約書に雇用期間1年との記載があったことから、保育園側が、期間更新がなされるのかどうかを確認することが必要と考えて、あらためて新年度の雇用契約書の提出を求めてきたため、Nさんは新年度の雇用契約書をR社に求めたものと思われます(保護者が有期雇用の場合、契約更新ごとに就労証明書等の提出を求める扱いが一般的なのかどうか、必ずしも明らかではありません)。
使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して労働条件を明示しなければならず(労働基準法(以下「労基法」という)第15条第1項)、しかも契約期間、賃金等一定の事項については、書面によって明示しなければなりません(労基法施行規則第5条)。この労働条件の明示は、労働条件通知書あるいは雇用契約書の形でなされることが多いと思われますが、本問におけるR社は新年度に入って契約が更新されているにもかかわらず、Nさんに対して新年度の労働条件を明示していないことになります。労働条件の明示は、新規契約時のみならず、契約更新時にも必要とされていますので、R社の対応は違法といわざるをえません。

したがって、Nさんは、R社の雇用契約書の交付遅れによって被った損害の賠償を請求することができます。社長の出張続きは言い訳になりません。社長不在の際に会社としての決断、手続きをしなければならない場面は他にも想定されますから、あらかじめそのような事態に対応できるだけの体制を整備しておく必要があったといわざるをえません。
Nさんに対して賠償すべき損害の範囲は、抽象的に言えばR社の違法行為によって通常生じる全損害ということになります。Nさんはベビーシッター代と保育料の差額の支払いを求めていますが、保育園を退園させられればベビーシッターを雇うほかなくなるということは常識的に想定できますから、通常生じる損害として賠償の範囲に入るといえるでしょう。あらためて入園申込をして保育園に入れるようになるまでの期間について、差額分の請求が認められることになりそうです。
では、R社がこの差額の支払いを拒否し、Nさんが退職を余儀なくされた場合はどうでしょうか。この場合は、R社が支払い義務のある賠償金を支払わなかったために、R社での就業が不可能になって退職するほかなくなったと考えられますから、退職強要に類似するものということができ、賠償総額はより高額になるでしょう(慰謝料も認められると思われます。なお、この場合の損害をどのように算定すべきかは難しい問題で、ここで論じる余裕はありません)。
R社としては、差額の支払いをしつつ、Nさんができるだけ早く次の保育園を見つけられるようフォローすべきです。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:西村 吉則)

女性の社会進出が進むなか、子どもが待機児童となり育児休業を延長せざるをえない母親や、新たに働きたくても働くことができない母親が増加していることが社会問題となっています。
R社の契約社員Nさんは、せっかく保育園に入園できたにもかかわらず、雇用契約書の遅延にり退園を余儀なくされたことから、今回のトラブルが発生しました。

 

1 「労働条件通知書」と「雇用契約書」
労基法第15条第1項は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示することを使用者に義務づけています。有期契約労働者が、労働契約を更新するということは、今までの契約は終了し、また新たな契約を締結するということになります。労働契約を締結するという点では、採用時も契約更新時も同じことであり、労基法第15条の適用があります。したがって、契約更新時にも、一定の労働条件を、書面で通知しなければなりません。
労働条件を明示する手段として「労働条件通知書」と「雇用契約書」が一般的に用いられています。「労働条件通知書」とは、労基法第15条の規定により、使用者が労働者に対して、賃金、労働時間その他の労働条件を明示するための書面をいいます。一方、「雇用契約書」は、使用者と労働者との間に成立した雇用契約の内容を記載したものであり、労務の提供と報酬の支払い
に関し使用者と労働者の間に合意がなされたこと(民法第623条)を証する書面となります。このように、文書の内容が当事者間の合意を表すか否かという点においては、両者は大きく異なります。「雇用契約書」の記載事項は、①労働契約の期間、②期間の定めのある労働契約を更新する場合の基準、③就業の場所、従事すべき業務、④始業・終業の時刻、所定労働時間を超える労働の有無、休憩時間、休日、休暇、就業時転換、⑤賃金の決定・計算・支払いの方法、賃金の締切り・支払い時期、⑥退職(解雇の事由を含む)になります。

 

2  社会保険(健康保険・厚生年金保険)における報酬
Nさんの要望どおり、ベビーシッターを雇うこととなった場合、ベビーシッター代と保育料の差額を給与の一部として支払うことは、家族手当と同様の趣旨と考えられます。社会保険における報酬とは、「賃金、給料、手当、賞与(年3回以下の賞与は不該当)を問わず、労働の対象として受けるすべてのもの」をいいます。つまり、①労働者が自己の労働を提供し、その対象として受けるものであること、②常時又は定期に受け、労働者の生計に充てられるものであることの2つを条件とし、これに該当する限り、その名称が何であるかは問題としないと解釈され、手当の支給は報酬とされます。

 

3 Nさんへの対応
R社にとって、Nさんの労働意欲・能力を評価していることから、子どもの保育園入園までの期間限定で、ベビーシッター代と保育料の差額を支払うことを条件に雇用契約を更新することが望まれます。

 

4  改正労働契約法(無期転換ルール)について
労働契約法の改正(平成25年4月1日施行)により、有期労働契約が繰り返し更新されて通算5年を超えたとき、労働者が申込みをすることで、期間の定めのない労働契約=無期労働契約に転換できることになりました。この場合、会社側に拒否権はありません。無期転換権が行使されると、正社員と同様に期間の定めがなくなるため、経営状況等に応じた雇止めによる柔軟な雇用調整ができなくなり、経営上、大きな影響を及ぼす可能性があります。無期転換した場合、その労働条件は、正社員と同等に引き上げる必要はなく、別段の定めがなければ、従前の労働条件をそのまま引き継げば問題ありません。ただし、就業規則の規定(適用範囲の定義など)によっては、無期転換した社員に正社員用の就業規則が適用(正社員を対象とした手当や退職金の支給など)される場合があるので注意が必要です。したがって、無期転換した社員を対象とした就業規則を新たに設けるか、有期契約社員用の就業規則がすでにあれば、そこに無期転換社員の定義を加えて、定年年齢など必要な条文を追加するなどの対応が求められます。

税理士からのアドバイス(執筆:木口 隆)

Nさんの保育園の保育料とベビーシッター代の「差額」を会社が負担するということになった場合、この差額は「給与」と認定されるでしょうか。
所得税法のなかには非課税所得の規定があります。たとえば『身体の傷害に基因して支払を受けるもの』については、基本的には非課税とされています。これには労災の補償金なども該当します。また、『葬祭料、香典又は災害等の見舞金で、その金額がその受贈者の社会的地位、贈与者との関係等に照らし社会通念上相当と認められるもの』については課税しないものとする、との規定もありますが、いずれも今回のケースには当てはまらないように思えます。
ほかにも、非課税とされる給与所得としては、通勤手当等、旅費、海外渡航費、宿日直料、結婚祝い金品、技術習得費用等、一定要件のもとに非課税とされているものがありますが、これらは限定列挙されています。
つまり、これら非課税所得に該当しないとすれば、雇用契約によって、従業員としての立場で、使用者から支払いを受けるものは、労務の対価として「給与所得」課税の対象とされることになります。
ところで近年、会社が従業員のために施設を設けて、ベビーシッターのサービスを提供しているというケースも出てきているようですが、この場合は、基本的には支払い法人側は単純損金処理(つまり給与課税する必要はない)できるようです。その根拠は所得税法基本通達36-29にある『使用者が役員若しくは使用人に対し自己の営む事業に属する用役を無償若しくは通常の対価の額に満たない対価で提供し、又は役員若しくは使用人の福利厚生のための施設の運営費等を負担することにより、当該用役の提供を受け又は当該施設を利用した役員又は使用人が受ける経済的利益については、当該経済的利益の額が著しく多額であると認められる場合又は役員だけを対象として供与される場合を除き、課税しなくて差し支えない。』という通達です。
また、以前ベビーシッター代を給与所得者の必要経費(特定支出控除)として認めたらどうかという税制改正要望が、厚生労働省から出されたこともありますが、現行税制ではまだ変更されていません。
いずれにしても、今回のケースでは、特定の個人とのトラブルの結果であり、すべての従業員が対象ではないこと、また会社内施設の利用でもないことなどから考えれば、非課税の所得として取り扱うことは困難と思われます。
以上のようなことから考えますと、Nさんの場合、1年契約の契約社員ということで契約の更新時期に発生した雇用契約上の問題であり、今後も会社で就労することを前提に「差額」を受け取るということであるとすれば、給与所得と判断される可能性が高いといえるでしょう。
そうした場合には、当然給与所得として源泉所得税の対象になりますし、翌年の住民税にも反映されることになります。また各種社会保険料等の算定の対象にもなってきます。その結果、実際の手取り額は「差額」とは微妙に異なることになるのが普通と思われますので、その点もよく検討したうえで「差額」の計算をしておかないとさらなるトラブルに発展するかもしれませんので注意が必要です。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット山形 会長 山内 健  /  本文執筆者 弁護士 村山 永、社会保険労務士 西村 吉則、税理士 木口 隆



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