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第185回 (平成29年6月号) SR大阪会

「満員電車が怖いのでタクシーで来ました」
「タクシー代を通勤費として支払って下さい」

SRネット大阪(会長:松井 文男)

S協同組合への相談

W社は今年で創業12年、スポーツ用品の店舗経営だけでなく昨年からネットショップを立ち上げ、そちらも順調に推移しているため、人員増員も検討中です。有名スポーツ用品を扱うせいか、スポーツをやっている(やっていた)若い社員が多く活気ある職場で、社内に複数のサークルもあり、大会があれば社長以下ほとんどの社員が応援に駆け付けます。

ある日、Kさんが妊娠したことを社長に報告しに来ました。「出産後もしっかり働くつもりです」というKさんに、社長は「おめでとう」と何度も繰り返しました。Kさんがある領収書を持ってくるまでは

「社長、今回の通勤費はこちらも精算してください」Kさんが持ってきたのは大量のタクシーの領収書。「なに? これ」「タクシーの領収書です」 「それは見たらわかるけど、どうしたの?」「満員電車が怖いのでタクシーで通勤しています。」「精算してください!」

総務経理部長にも相談してみましたが、「それは彼女が勝手にしたことですので、精算は無理です」という答え。そのままKさんに言ってみたものの「妊娠初期はつわりもあって大変なんです!」「毎日満員電車で座ることもできず辛いのに、遅刻もせずに来てるんですよ! これくらい認めて下さい!」と強い口調で言われ話し合いにもなりません。W社では今まで女性社員の妊娠出産はなく、Kさんが初めてということもあり、どのような対応をしたら良いのか社長は困ってしまいました。

相談を受けた事務局担当者は専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。

相談事業所 組合員企業W社の概要

創業
2005年

社員数
正規12名 非正規4名

業種
卸・小売業

経営者像

大手スポーツメーカーから独立し、都内に2店舗を経営。ネットショップも立ち上げ、業務拡大を目指している。熱意ある社員にはどんどん仕事を任せたいと考えている。


トラブル発生の背景

妊娠中の通勤で、タクシー利用をしていたことによる通勤費精算についてのトラブルです。特に医師からの指示があった等ではなく、自分で満員電車を避け、タクシー利用をしていたようです。会社としてはこのような場合でもタクシー代を通勤費として精算しなければならいのか困惑しています。

ポイント

申請通勤経路以外の通勤について、通勤費精算をしなければならないのでしょうか? Kさんは妊娠のためと主張していますが、Kさんの主張を認めると通勤経路申請の意味がなく、領収書があればどんな通勤費も支払わなければならないのでは?と会社は困っています。今後のKさんへの対応をどのようにしたら良いのか?注意点などW社の社長へ良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:村本 浩)

通勤のために費用がかかる場合、当然に労働者が権利として通勤費の実費を使用者に請求できるのではなく、原則は、労働者は職場に来て労務の提供をするために必要な費用は自分で負担する必要があります。この根拠は実は民法まで遡ることになるのですが、民法第485条は債務の弁済にかかる費用について定めており、「弁済の費用について別段の意思表示がないときは、その費用は、債務者の負担とする。ただし、債権者が住所の移転その他の行為によって弁済の費用を増加させたときは、その増加額は、債権者の負担とする。」としています。

労働者は「職場での決まった時間での労務の提供」という債務を負っていることから、労

働者はその債務の弁済すなわち職場で決まった時間に労務の提供をするための費用である交通費については原則として債務者である労働者が負担することになるわけです。ただし、弁済の費用について「別段の意思表示」がある場合には、その意思表示に基づくことになり、就業規則や賃金規程、雇用契約書、労働条件通知書などに一定の条件の下に交通費を使用者が負担する旨を記載し、労働条件となっている場合には、設定された条件を満たせば交通費を支給する義務が使用者に発生することになります。もともと前述のように労働者が負担すべき交通費を、使用者が負担することを約束する形なので、どのような条件を満たせば、どの額の交通費を支給するのかは使用者が自由に設定することができます(もちろん一度設定した条件や金額を、後に不利益に変更する場合には、労働契約法第10条の就業規則の不利益変更に関する規制がかかることになります。)そこで例えば、「労働者が事前に申請し、会社が許可した通勤経路に基づく交通費は、月額5,000円を上限として通勤手当として支給する。」と規定している場合には、労働者が申請し、かつ、会社が許可をした通勤経路以外で通勤した場合の交通費を労働者が請求する権利はありませんし、月額5,000円を超える場合にも5,000円を超えた金額を労働者が支給する権利はありません。したがって、本事案のように申請通勤経路とは異なり、勝手にタクシーで通勤をしたとしても、法的にKさんはW社に対してタクシー代を請求することはできず、W社としてタクシー代を精算する必要はありません。

ただし、Kさんは妊婦であることから、男女雇用均等法(以下「均等法」という)の規制を考慮する必要があります。同法第13条1項において「事業主は、その雇用する女性労働者が前条の保健指導又は健康診査に基づく指導事項を守ることができるようにするため、勤務時間の変更、勤務の軽減等必要な措置を講じなければならない。」と定められており、同条2項に基づき「妊娠中及び出産後の女性労働者が保健指導又は健康診査に基づく指導事項を守ることができるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針」が定められています。同指針は、「2事業主が講ずべき妊娠中及び出産後の女性労働者の母性健康管理上の措置」の「(1)妊娠中の通勤緩和について」という項目において、「事業主は、その雇用する妊娠中の女性労働者から、通勤に利用する交通機関の混雑の程度が母体又は胎児の健康保持に影響があるとして、医師又は助産師(以下「医師等」という。)により通勤緩和の指導を受けた旨の申出があった場合には、時差通勤、勤務時間の短縮等の必要な措置を講ずるものとする。また、事業主は、医師等による具体的な指導がない場合においても、妊娠中の女性労働者から通勤緩和の申出があったときには、担当の医師等と連絡をとり、その判断を求める等適切な対応を図る必要がある。」(下線は執筆者)と記載しています。これまでのタクシー通勤については事前に申出がありませんでしたので、当該指針の対象とはなりませんし、事前につわり等でしんどいためタクシー通勤をしたいと申し出があったとしても同指針が求めている通勤緩和を超えた要求であり応じる必要はありません。もっとも、今後については、実際につわり等で体調が悪いのかを確認し、体調が具体的に悪いということであれば、担当の医師等に連絡を取らせてもらい、時差通勤や勤務時間の短縮等を検討する必要があります。Kさんが申し出ている状況を踏まえれば、時差通勤で対応すれば十分であり、タクシー通勤を認める合理的な理由は存在しません。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:桑野 里美)

働く女性の母性健康管理措置、母性保護規定については、均等法、労働基準法などによって様々な措置が義務付けられています。今回のケースは均等法13条「通勤緩和措置」の取り扱い上のトラブルです。

均等法13条は「妊娠中及び出産後の女性労働者が、健康診査等を受け、医師等から指導を受けた場合は、その女性労働者が受けた指導を守ることができるようにするために、事業主は勤務時間の変更、勤務の軽減等必要な措置を講じなければならない。」と規定されています。

※ 指導事項を守ることができるようにするための措置とは

○ 妊娠中の通勤緩和(時差通勤、勤務時間の短縮等の措置)

○ 妊娠中の休憩に関する措置(休憩時間の延長、休憩回数の増加等の措置)

○ 妊娠中又は出産後の症状等に対応する措置(作業の制限、休業等の措置)です。

今回のケースは「医師等から指導を受けた場合」ではありませんので、まず前提条件が不十分ですので、そもそもタクシー通勤は認められないという対応で問題ないと考えられます。したがって、会社の許可も得ずに、タクシーによる通勤をした場合の費用の精算に対応する必要はありません。

しかしながら、交通機関の混雑による苦痛は、悪阻の悪化や流・早産等につながる恐れがあります。妊娠中の女性労働者は、ラッシュアワーの混雑を避けて通勤することができるように「医師等から指導があった場合」には、「母性健康管理指導事項連絡カード」の活用によって、できるだけ母体の状態に合わせて心身の負担を軽減するように十分な配慮してください。

具体的な通勤緩和措置ですが、①混雑時を避けるため始業時間、終業時間を30分から60分程度の時間差を設ける時差通勤の措置、②労働基準法32条の3に規定されているフレックスタイム制の導入、または③勤務時間を30分から60分程度短縮する措置。または④混雑の少ない経路への変更、⑤交通手段の変更などが考えられます。

この交通手段の変更は、電車、バス等の公共交通機関を使うほか、自家用車による通勤も緩和措置の対象となります。従いまして、会社によっては、「その他の手段」としてタクシー通勤を認めることも交通手段の変更方法のひとつとして考えることもできるでしょう。

このように、通勤緩和措置には多様な方法が考えられるため、就業規則には会社として認める通勤緩和措置の範囲を規定しておく必要があるでしょう。

通勤手当については、(妊娠時における)転居を伴わない通勤経路や通勤方法の変更となりますので、①経路変更を認める期間(医師による通勤緩和措置の指導があった日を起算日として〇〇日間)と、②通勤費用の上限金額の制定が必要でしょう。もちろん、「転居を伴わない通勤経路や通勤方法の変更は、会社が認めた場合に限る」等の但し書きも忘れず記載しておきましょう。

税理士からのアドバイス(執筆:中野 洋)

経営者・従業員の区分なく通勤費は給与計算において限度額までは「非課税交通費」として処理します。ここで言う「非課税交通費の限度額」は電車・バスを利用する場合、月額150,000円まで、又、マイカーや自転車通勤は距離に応じた限度額が細かく決められています。他に非課税枠に含まれる通勤費としては、

  • 自転車通勤における駐輪場代
  • 新幹線通勤
  • 有料道路通行料

などがあります。

ただし、所得税法では「最も経済的かつ合理的な経路及び方法で通勤した場合」の非課税限度額が定められているだけなので、具体的にどのように支給するかまでは規定されていません。どこまでが支給対象となるかは各会社の規定によります。それぞれ自社内で合理的な規定を整備する必要があります。

又、 非課税枠から外れる通勤費としては、

  • 上記の非課税枠を超えてしまう
  • 会社に無断でマイカーや自転車で通勤し、それを会社に請求している
  • 正規のルートで通勤していない(必要以上に遠回りの定期代を請求するなど)
  • 新幹線のグリーン代金
  • タクシー通勤、運転手つき通勤

など、です。

上記のような場合、非課税枠を超えた部分は課税対象として給与に含める必要があり、その分の所得が増えるので所得税などが増えることになります。

このように通勤費には、課税と非課税の正しい判断が必要になります。しかし、「非課税交通費」であっても、社会保険料・労働保険料の計算時には給与に含める事になり、注意が必要です。

また、「課税交通費(通勤手当)」は、手当として定額で支給することも可能です。

手当とは、給与において基本給のほかに諸費用として従業員に支払われる賃金のことです。例えば、扶養手当や住宅手当、資格手当などと同じで、支給の有無や、支給額は会社ごとに設定することができます。

この時、従業員に支払った通勤費は課税・非課税かかわらず全額損金算入し、会社の税金を減らすことが出来ます。会社の会計上の勘定科目は「旅費交通費」となります。

ここで、従業員の立場で押さえておきたい通勤費のポイントは給与にかかわる「所得税」と「社会保険料」の2点となります。

通勤費が「非課税交通費」になると個人の所得が少なくなります。通勤費は受け取る給与の中でも限度額までは「非課税交通費」として処理されるからです。

ただし、先程も述べましたが、「非課税交通費」には限度額があるため、それを超えた場合は「課税交通費」として給与計算の課税処理に含める必要があります。元々、社会保険料(健康保険・厚生年金)・雇用保険料の計算には通勤費の課税・非課税に関係なく通勤費総額が対象です。非課税の意味はあくまで所得税の計算対象から外れる、という意味です。

 

今回の相談事例であるKさんの場合、会社に届け出なく、体調を理由に申請通勤経路を変更し、しかもタクシー通勤をしていることには確認しないといけない点が2点あります。1つは、事前に会社承認を取っていないこと。また、医師の指示があった訳ではないので、会社としてはタクシー代を精算する理由を考えづらいこと。2点目は、通勤に要したタクシー代を精算したとしても「課税交通費」となることです。

会社としては、タクシー代の精算は、損金となり税務上のメリットがあります。しかし、Kさんにとっては、所得税・社会保険料が高くなり、一概に有利と言い切れません。

結果、Kさんのタクシー代の一部を会社が負担すると言うことを話し合うことになると考えられます。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
SRネットは、全国展開に向けて活動中です。


SRネット大阪 会長 松井 文男  /  本文執筆者 弁護士 村本 浩、社会保険労務士 桑野 里美、税理士 中野 洋



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