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第181回 (平成29年2月号) SR東京会

「給与の前借りをさせてください」
「もう何度目だ? 返済してもらえるのか?」

SRネット東京(会長:小泉 正典)

H協同組合への相談

自分1人だけで始めた会社のため、入社してくれる社員をとても大切に思っているP社の社長。その思いは社員に充分伝わっており、今まで特に労務トラブルというものはありませんでした。

従業員のNさんは、元料理人でいろいろな食材の知識もあり、社長も仕事ぶりは認めるところです。ところが、どうしても止められない悪い癖(ギャンブル)があり、会社から何度か給料の前借りをしていました。

ある日、またもNさんから給料の前借りをしたいと相談がありましたが、経理部長のBさんが納得しません。というのも、前回前借りした際、「やはり残りの給料だけでは生活できない」と会社から貸付をしており、その分を返済してもらわないと前借りは認められないと言います。確かにこのままでは貸付の額ばかりが大きくなってしまい、返済メドが立つかもわかりません。社長としては、ギャンブルは私生活上のことで仕事とは別物と考えてはいますが、最近は暗い顔をして考え込むことも増え、効率も悪くなっていることも事実で、このままだと次回の昇給は難しい状況です。Nさんに「前借りさせることはできない」と伝えてみましたが、最初は「いままでは大丈夫だったはずなのに、おかしい!」と怒り、最後は「それでは働いた分だけでも」と懇願してきました。まだ給料締切前のため、働いた分といってもいつもの半分ほどのうえ、貸付金と相殺するとほとんど残りません。社長はどのように対応するのがよいのか、困ってしまいました。

相談を受けた事務局担当者は専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。

相談事業所 組合員企業P社の概要

創業
1998年

社員数
正規15名 非正規3名

業種
食品加工業 

経営者像

もともと社長の親が食材卸業を行っていたが、自身は一手間かけたものを作りたいと創業。研究熱心で新しい食材も取り入れようと努力している。社員は家族と同じと思い、大切にしている。


トラブル発生の背景

仕事はできるが私生活上のトラブルを抱える社員への対応について頭を悩ませています。前借りの要望を断ってみたものの、働いた分の給料精算を求められています。貸付金を先に返してほしい会社側としては、その分を精算したうえで支払いをしたいと考えています。

また、今後この社員にどのような対応をしていけばいいのかということも、不安に思っているようです。

ポイント

給料の前借りについて、断ることは出来るのか?(P社の就業規則には前借りについて、特に規定はありません。)、働いた分について支払う必要があるのか?また、貸付金を相殺しての支払いで問題はないのかどうか?また今後、社員Nへはどのような対応をすれば良いのでしょうか?P社の社長へ良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:麻布 秀行)

P社のようにNさんから賃金の前借りを懇願された場合、使用者は賃金の前借りに応じなければならないのでしょうか?

結論から申しますと、P社のような事例であれば、使用者側には前借りに応じる義務はありません。したがって、前借りに応じるか否かは使用者側の裁量ということになります。

それでは、以下、上記結論になる理由を確認しましょう。

 

1 まず、賃金に関する労働基準法(以下「労基法」と略します)第24条第2項の規定によれば、「賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない」とされています。そして、この原則の例外として、労基法第25条に「賃金の非常時払い」に関する定めを置いています。同条によれば、使用者は、労働者が出産、疾病、災害その他厚生労働省令で定める非常の場合の費用に充てるために請求する場合には、支払期日前であっても、既往の労働に対する賃金を支払わなければならないとされています(労基法施行規則第9条も参照)。本件は、ギャンブルといった私生活上の原因を理由とした前借りの請求であり、労基法第25条の予定する費用に該当しませんので、原則通り、賃金の支払期日に賃金を会社は支払うことで足ります。よって、会社は、労働者からの前借り請求に応じなくてもよいという結論となります。なお、仮に本事例と異なり、労基法第25条に該当する費用に充てるための請求であったとしても、前借りの対象となるのは、既往の労働に対する部分のみですので、使用者は、労働者から請求のあった日までの賃金を、日割計算によって支払うことになります(労基法施行規則第19条)。

2 次に、本事例では、P社のNさんに対する貸付金が存在していますので、前借金と賃金との相殺を禁止する労基法第17条も確認しましょう。この点、同条に規定する前借金は、金銭の貸借と労務の提供が密接にかかわり、身分的拘束を伴うものを指すと解されています。そして、労務の提供との密接関連性については、「その貸付の原因、期間、金額、金利の有無等を総合的に判断して労働することが条件となっていないことが極めて明白な場合には、本条の規定は適用されない」と考えられています(昭和23.10.15基発1510号、昭和23.10.23基収3633号、昭和63..14基発150号)。よって、金額や金利面で問題なければ、労基法第17条の前借金に該当しません。

3 では、P社のNさんに対する貸付金が労基法第17条に該当しないのであれば、P社が有する貸付金債権とNさんの賃金債権を相殺することは可能なのかというと、賃金全額払いの原則に反することになりますのでできません(日本勧業経済会事件・最判昭和36年5月31日判決)。しかし、労働者が、自由意志に基づき賃金を相殺することに同意した場合には、使用者は相殺できますので(日新製鋼事件・最判平成2年1126日判決)、使用者が前貸しをする際には、金銭消費貸借契約書等を作成し、その中で、借入金を賃金から控除することを同意する旨の署名を得る等の対策が必要です。

4 最後に私生活上のトラブルを理由に懲戒処分が可能かどうかを検討しましょう。使用者の懲戒権は、労働者の社外の行動にまで及ぶのかが問題となりますが、当該私生活上のトラブルが、企業の円滑な運営に支障を来すおそれがあるならば、当該トラブルを規制の対象として、これを理由に懲戒を課すことは許されます(関西電力事件・最判昭和58年9月8日)。ただし、当該私生活上のトラブルを捕捉する就業規則の定めは必要です。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:熊谷 祐子)

まず、給与支払日前に働いた分についての支払いが必要かどうか、その支払い方法についてですが、本件の場合は、非常時払いに該当しないと解されるため、既往の労働(すでに働いた分)に対する賃金の前払いに応じる義務はないと解されます。

しかし、賃金支払日までの労働者の生活保全の観点から、必要最小限の額を前借りとして認めるかどうかは企業の裁量に委ねられますので、本人に、生活資金のための費用であることを十分に理解させたうえで、その範囲内での支払いにすることがよいように思います

労基法第25条では「非常時払として労働者が出産、結婚、病気、災害その他厚生労働省で定める非常の場合の費用に充てるために請求する場合においては、支払期日前であっても、既往の労働に対する賃金を支払わなければならない」としています。さらに厚生労働省令で定める非常の場合として施行規則第9条において、「婚礼・葬儀・やむを得ない事由によって、一週間以上にわたる帰郷をする場合の他、労働者本人にこれらの事由が発生した場合に限らず、その労働者の収入によって生計を維持するものに同一事由が発生した場合も含む」としています。

また、貸付金との相殺について、労基法第17条では「前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない」としています。労働者に生活資金を貸し付け、その後に賃金から控除する場合においても、貸付の原因、期間、金額、金利の有無等を総合的に判断して労働することが条件となっていないことが極めて明白な場合には、本条の規程は適用されないとする判例が出ています。(昭23.10.15基発第1510号、昭23.10.23基収第3633号、昭63.3.14基発第150号・婦発第47号)ただし、禁止されているのは使用者からの一方的な相殺です。

以上のことから、使用者がNさんに対して生活資金の貸付を行い、その後賃金から控除するためには、「相殺契約書」などで合意による相殺であることを明文化しておく必要があるでしょう。相殺契約書には、少なくとも控除対象となる具体的な項目及び項目別に定める控除を行う賃金支払日を明記すること、そして労働者が自由な意思に基づき行う合意相殺であること、自由な意思と認められる合理的な理由が客観的に存在することが求められます。

次に、私生活上のことで使用者が注意をすることはできるのかについて考えてみましょう。

Nさんに対して、プライベートなことまでは使用者が干渉することはできませんが、ギャンブルによる金銭トラブルや反社会的勢力とのつながりができてしまう可能性も捨てきれません。趣味であるギャンブルそのものに対し注意喚起をすることは難しいですが、その結果、企業の秩序を乱す場合や横領等の犯罪に及ぶこともあり得ないことではありません。生活資金までギャンブルに費やすようであれば、未然に防ぐという観点から服務規律の研修等を行うことが有効ではないかと考えられます。

最後に、今後の会社の対応、就業規則その他の整備等、会社として行うべきことを考えておきます

就業規則や賃金規程において、前借金については非常時払いに限るものとし、その返済方法等を明記しておくこと、労働者間での貸し借りも禁止すること、反社会的勢力とのつながりが確認できた時点で懲戒解雇できるように定めておくことをお勧めします。また、「社員行動規範」を定め、社内研修などで教育していくことも使用者としての責務と考えられます。ギャンブル依存症になった場合、業務効率や生産性・質の低下にもつながります。社員をトラブルや犯罪から守るのは使用者ですが、会社を守るのは社員一人ひとりの行動から成り立つことであると指導していくことが望ましいでしょう。

税理士からのアドバイス(執筆:上田 智雄)

従業員へ給与を前借りさせた場合の税法上の扱いについて解説します。

まず、前借金の支払いそのものは、金銭の貸し借りでありいずれ返済されるものなので、その時点では課税はされません。また、給与日に精算するのであれば、給与計算などで通常どおり課税された後の手取金額から本人が返済する処理となります。

ここまではよいとして、前借りとして支払っている金額が増加してきた場合に税法上の問題が生じることがあるので注意が必要です。その後の給与額から精算しても支払えないほど多額に積み重なってきた場合には、本人から一定の利息を徴収する必要が出てくるのです。

貸付は経済行為に該当します。貸付とは「資金を必要とする人に対して、将来における返済の約束のもとに資金を供与し、利用可能にする行為」を指します。つまりNさんは、会社からの利益供与を受けたことにより、本来はすることのできなかったギャンブルに興じることが可能になっているのです。よって会社は、この経済的利益を提供するからには、本人から相応の利息を徴収する義務があります。

なお、徴収するべき金利は平成29年においては1.7(平成27年~28年は1.8)とされています。これは特例基準割合と言われ、毎年財務大臣が告示する割合をベースに定められています。

もし、1.7%に満たない利率で貸付を行った場合、1.7%の利率と貸し付けている利率との差額を本人の給与手取りから差し引く必要が出てきます。例外として、この1.7%金利を差し引かなくてよいケースとして次の3つが定められています(所得税法基本通達36-28)。

①災害や病気などで臨時に生活資金が必要となった場合に、妥当な金額を貸し付ける場合

②会社などが貸付の資金を銀行などから借り入れている場合、その借入利率を基準とした金利を徴収している場合

1.7%の利率と貸し付けている利率との差額分の利息金額が1年間で5,000円以下である場合

Nさんのケースはギャンブルなので①の生活資金には該当しません。今のところ、前借り分は翌月のうちに返済しているので利息の発生は少なく、5,000円以下と考えられます。よって③に該当し、利息の徴収は行わずにすんでいます。

しかし、もし前借りさせる金額が積み重なって翌月の給与で精算しきれないほどに膨れ上がり、利息金額が5,000円を超えれば、利息の徴収義務が生じてきます。

また、貸付残額が残ったまま退職してしまった場合にも税金上の問題が考えられます。その貸付金が回収できなくなったとしても、本人が自己破産をするなど法的に回収不能であることが明らかにならない限り、簡単には貸倒損失として経費処理することができなくなるのです。要するに、その「前借りさせた金額に対して法人税等が課税される」ことにもつながります。

税金の負担増を避けるには貸付金を給与や退職金の枠内に留めておくこと、また、金額が多額になり精算しきれない場合には、本人との合意の上金利負担をしてもらうことなどが必要と考えられます。

 

なお、それぞれのタイミングにおける仕訳処理は下記を参考にしてください。
①前借りの支払日

 貸付金(前借り金額) / 現預金 〇〇

②正規の給与計算日

給与手当 / 現預金  〇〇
預り金(所得税)      〇〇
預り金(住民税)      〇〇
預り金(社会保険料)   〇〇
貸付金(前借り金額)   〇〇
雑収入(金利)       〇〇

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット東京 会長 小泉 正典  /  本文執筆者 弁護士 麻布 秀行、社会保険労務士 熊谷 祐子、税理士 上田 智雄



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