第179回 (平成28年12月号) SR東京会
「電車遅延で遅れた分を控除されるなんて納得いかない!」
「私のせいじゃない!」
「電車遅延で遅れた分を控除されるなんて納得いかない!」
「私のせいじゃない!」
SRネット東京(会長:小泉 正典)
S協同組合への相談
従業員数は少ないながら堅実で丁寧な仕事が取引先に評価され、幾度の不況も乗り切ってきたJ社。2代目社長の意向もあり、現在は従業員だった3代目の社長が事業を引き継いでいます。
YさんはそんなJ社に今年、技術職として中途入社してきました。職人としてはとても良い仕事をするのですが、時間にルーズという悪癖があり、前職でもそのことで度々トラブルがあったようで、J社に勤務してからも毎週のように遅刻をしてきます。理由は様々ですが、電車遅延の際は必ず遅延証明書も持参してきます。しかし、J社では電車遅延であっても遅刻として取り扱い、給与控除の対象となっているため、そのように処理していました。
ところがYさんは「今まで働いてきた会社でこんなことはなかった!遅延証明書まで出しているのに給与が控除されるのはおかしい!電車遅延は私の責任ではないのに、これでは責任を取らせているのと同じだ、不当に責任を負わせているから労基法違反だ!」と言ってきました。
確かにJ社の就業規則は創業者時代に作成されて以来変更もなく、今の法律にあっているのかどうか社長もよくわからない部分があり不安は抱えていた所です。ただ、今まで遅刻は遅刻として全従業員に対して同じようにしてきましたし、そのことはYさんにも幾度となく説明もしてきました。Yさんの言うように電車遅延については給与を返還しなくては労基法違反となるのか分からず、困ってしまいました。相談を受けた事務局担当者は、専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。
相談事業所 組合員企業J社の概要
-
- 創業
- 1965年
- 社員数
- 正規25名 非正規6名
- 業種
- 空気圧縮機製造業
- 経営者像
3代目となる社長は創業者一族ではないものの、ずっとJ社に勤務していた叩き上げで、少々職人気質のところはあるが、J社と社員のことを考え抜いてくれる社長に皆信頼を置いている。
トラブル発生の背景
度々遅刻をしてくるYですが、電車遅延だけは自分の責任ではないのに遅刻控除されることに納得が出来ない様子です。遅刻控除をするのは責任を取らせているのと同じで、これは労基法違反だと言っています。J社の就業規則には電車遅延については控除しないという規程はないものの、Yの主張をそのまま受け入れるべきなのか混乱しています。
ポイント
電車遅延で遅延証明書を提出してきた場合、就業規則に規程がなくとも遅延控除は出来ないのでしょうか?また電車遅延で遅刻控除をしているJ社の就業規則は、労基法違反なのでしょうか?今後会社はどのような対応をすれば良いのでしょうか?J社の社長へ良きアドバイスをお願いします。
弁護士からのアドバイス(執筆:麻布 秀行)
Yさんは、電車遅延は自分の責任ではないのだから賃金控除するべきではないと主張していますが、果たして、J社は、賃金控除をしてはいけないのでしょうか?
結論から申し上げますと、本件事案において、賃金控除をしても問題はありません。
以下、賃金に関する諸原則とともに、何故、上記結論になるのかを確認しましょう。
(1)まず、労働契約は、労務の履行と、賃金の支払いが対価関係にたつ契約です(民法623条、労働契約法6条)。よって、労働者は、自身が履行した労務に対応する賃金を請求できる反面、欠勤、遅刻等により労務の履行が出来なかった場合、その不就労分に応じた賃金は発生しないことになります。
これを「ノーワーク・ノーペイの原則」といいます。ただし、かかるノーワーク・ノーペイの原則を定める民法の規定は任意規定ですので、当事者の合意により、ノーワーク・ノーペイの原則を排除することは可能です。
したがって、電車遅延による遅刻の場合には賃金の控除を行わないこととすることも可能ということになります。
(2)本件では、電車遅延による遅刻の場合に賃金控除しない旨の合意、労使慣行、就業規則等は存在しないとのことですので、「ノーワーク・ノーペイの原則」に基づき、遅刻した時間の賃金を給与から控除しても問題ないことになります。
(3)しかし、遅刻、欠勤等には様々な原因があり、中には自分の責任とはいえない原因に基づく遅刻や欠勤もあります。そういった場合にまで、先ほどの「ノーワーク・ノーペイの原則」を適用し、不就労部分の賃金が発生しないという結論は納得できないというご意見もあると思います。このような意見に対する答えは、民法の危険負担の規定(民法536条)に記載されています。
民法536条1項には、「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を有しない」と規定されています。
すなわち、労働者、会社双方に、当該遅刻の責任が無く、当該遅刻によって債務(「労務」)の履行が無い場合には、債務者(「労働者」)は、当該不就労部分に対応する反対給付(「賃金」)を受ける権利を有しないことになるのです。
本件遅刻の原因となった電車遅延は、確かに労働者の責任ではないと考えられますが、同じように会社の責任とも評価できません。
したがって、本件では、労働者は、遅刻した部分の労務に対応する賃金を請求することは出来ず、遅刻控除可能という結論となります。
(4)ところで、本件では、遅刻の原因が会社にありませんでしたので、賃金控除は可能となりましたが、遅刻・欠勤の原因が会社にある場合には、その責任の程度によって、労働者は、100%の賃金(民法536条2項)または休業手当(賃金の60%以上・労基法26条)を請求することが出来ます。
(5)最後に、本件では、電車遅延を原因とする遅刻の場合に賃金控除を行わないとする労働契約、就業規則、労使協定、労使慣行が存在しなかったので上記結論となりますが、電車遅延を原因とする遅刻の場合に賃金控除を行わないとする事実上の労使慣行等があった場合には注意が必要です。電車遅延を原因とする遅刻に限定していませんが、遅刻30分を容認する就業規則(賃金控除しない)の内容を変更し、同遅刻容認制度を廃止する旨の就業規則の変更を認めた裁判例(大阪地判平成17・4・27労判897号43頁・黒川乳業事件)がある一方で、少し古いですが、遅刻早退欠勤等の際に、賃金カットを行う旨の就業規則も労働協約も又そのような取扱いの実例もなかったケースで、就業規則をもって賃金カットをする旨を定めても反対する労働者には効力が及ばないと判断した裁判例(東京地判昭和46年9月13日)がございます。運用を変更する場合には、是非、一度専門家にご相談ください。
社会保険労務士からのアドバイス(執筆:小泉 正典)
電車遅延の際、必ずといっていいほど、遅延証明書をもらう人だかりが出来ます。多くの会社でこの遅延証明書を提出することで遅刻扱い、つまり遅刻控除をしないという扱いになっているからでしょう。
今回のJ社の処理については、結論から言えば「控除出来る」ということになります。労使間の基本はノーワーク・ノーペイです。遅刻した時間、勤務していないわけですから、賃金を支払う必要はない訳です。
次に、この従業員Yの方が主張している「私のせいではない」という部分についてです。例えば労働者の責に帰すべき場合(寝坊で遅刻をしたなど)、これは従業員本人に責任があるため、会社は遅刻分の賃金支払いは必要ありません。会社側の責に帰すべき場合(経営難から工場を休業など)、これは会社側の都合で労働者は働きたくても働くことが出来ない状況のため、休業手当(平均賃金の60%以上)の支払いが生じます。これは労基法第26条(使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は休業期間中その労働者に、その平均賃金の100分の60以上の手当を支払わなければならない)で決められています。
では、電車遅延といった従業員にも会社にも責任がない場合はどうなるのでしょうか?この場合は民法536条の危険負担の原則(債権者主義)が適用され、労務を提供出来なかった場合、賃金を請求出来ないということになりますので、遅刻控除しても問題ありません。
電車遅延の際、どのように控除にするのかはその会社ごとで決定できるため、控除する会社もあれば、「遅延証明書」を提出すれば遅刻控除をしないという会社も多いかと思います。これは電車遅延が本人のせいではない = 労働者の責に帰すべき事由にあたらない、という解釈で運用していると考えられます。特に電車遅延についての条文や但し書きがない場合は、上記のように控除しても問題ありません。ただやはり一般的には電車遅延の際に遅刻控除することはあまりしない為、中途入社の従業員にはしっかり説明をした上での運用を行うことが大切です。
また、今まで通り、遅延証明書の添付があれば控除しないということであれば、就業規則に明記するか、内規を作り手続きを明確にしておきましょう。J社の就業規則の遅刻控除部分については、労基法違反ではありませんが、大きな法改正は何度もあったため、その他の部分については、現在の労働法にそぐわない部分があるかもしれません。一度今の労働法に照らし合わせて見直しをしておく必要はあるかと思います。
なお、電車遅延を繰り返す従業員Yに、電車遅延の場合も考慮して早めに家を出るように指導し、改善が見られないようであれば厳しいですが、懲戒処分対象となることもあわせて伝え、遅刻自体が起こらないようにしていけば、遅刻控除の問題もなくなるでしょう。
税理士からのアドバイス(執筆:上田 智雄)
前述のとおり電車遅延を理由とする遅刻の場合は、ノーワーク・ノーペイの原則に基づいて法律上は賃金を支払う義務はないとのことですので、給与控除する場合は税金の対象から外れることになります。よって課税所得から差し引いて計算していきます。
ここでは、就業規則の解釈や適用変更の結果、さかのぼって数年分支払うこととなった場合の課税関係について考えてみたいと思います。
①過去にさかのぼって修正する場合
J社の就業規則の文言を精査した結果、会社が解釈を誤っていたとして数年間さかのぼって遅延分の給与を支払う場合についてです。過去にさかのぼって受け取った所得も、「労働の対価」の扱いになるため給与所得として計算されます。
その増加額については発生年度の給与所得に加算し、各年度の年末調整の修正をするべき事となります。会社としてはその年末調整に伴って発生する源泉所得税などの追加納付手続きなども発生します。また、給与負担額が増え、利益が圧縮されることになりますので、更正の請求をすれば法人税が還付される可能性があります。
②今後の給与に増額して支給する場合
増額される給与相当額について、当期の給与や賞与に含めて支給する場合は、受け取った年度の給与所得として加算されることとなります。
所得税は累進課税になっており、所得が高いレンジほど高い税率が適用されます。過去数年分の給与増額分を一括で受け取る場合、発生年度でそれぞれ修正するよりも従業員側の負担が増えることとなります。
③遅延損害金を支払う場合
さかのぼって給与を支払うときに、支払いが遅れたとして遅延損害金を支払う場合についてです。遅延損害金とは、本来支払われるべき日に賃金が支払われなかったことに対する損害金です。この損害賠償金が、心身に与えられた損害について支払を受けるものの意味合いであれば、所得税は非課税となります。ただし、単に名目を遅延損害金としているだけで、実質が給与の増額であれば課税対象となります。
また、その遅延損害金が「社会通念上、考えられる範囲」を大きく逸脱している場合、利益供与とみなされ一時所得の対象となります。
④休業が会社の責任の場合
上記の他に、会社の責任(地震などの天災事変等を除く)による遅刻し、休業手当が支給された場合について考えてみましょう。この場合は課税の対象となります。
労働の対価ではないですが、「休業前の給与」と「休業中の休業手当」は実質的に同じものとして考え、同じように所得税が課税されることとなります。
労基法においては、給与は『賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者に支払うすべてのものをいう。』と規定されております。
よって、給与以外の名目で支給されていても、労働の対価としての性格を有していれば税法上では給与所得になります。内容をよく確認し税法上の取り扱いを判断していく必要があります。
社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット東京 会長 小泉 正典 / 本文執筆者 弁護士 麻布 秀行、社会保険労務士 小泉 正典、税理士 上田 智雄