第170回 (平成28年3月号) SR高知会
「在職中は有給休暇の取得を阻害されていました…」
「在職中は有給休暇の取得を阻害されていました…」
SRネット高知(会長:結城 茂久)
U協同組合への相談
S社2代目社長の時代にU協同組合が設立されたという歴史があり、その後もS社と同業者、そしてU協同組合は共存共栄の精神で支え合っています。
S社の業務は、従来からパート社員が中心で、早番は午前3時出社、遅番は午後9時出社など、さまざまな勤務シフトを駆使して、業務とパート社員の私生活のバランスを図ってパート社員の定着を維持してきました。勤続の長いパート社員は、「自分が休んだら仲間に迷惑がかかる」という気持ちが大きくなり、S社も「有給休暇を請求されない」ような職場づくりに努めており、結果として、退職時を含め有給休暇を取得するパート社員は皆無でした。そんなS社でしたが、勤続6年目のAパート社員の夫が脳梗塞で倒れるという事態が発生し、S社とパート社員の間に亀裂が生じました。S社は「正常に勤務ができないならば退職やむなし」という姿勢でしたが、夫の治療費を少しでも稼ぎたいAは「極力出社するが、夫の看病が必要な際は有給休暇を使用したい」というものでした。Aとしては「仲間が仕事しているのに申し訳ないが、せめて通常月分くらいの給与手取りにしたい」という涙ぐましいものでしたが、S社としては、理由はどうあれ、不規則に有給休暇を使用されることにかなりの抵抗感がありました。結局、話し合いは物別れに終わり、Aは退職することになりましたが、S社に対する憎悪が残り「在職中、有給休暇が使用できない環境にあった」ことを訴える行動に出るという噂がS社に届きました。
慌てたS社社長と総務部長は、組合事務局を訪れ、事の経緯を相談しますが、事務局担当者は、他のパート社員への影響が大きいことから、専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。
相談事業所 組合員企業S社の概要
-
- 創業
- 1948年
- 社員数
- 正規 21名 非正規 78名
- 業種
- 生鮮食品等卸売業
- 経営者像
S社は、戦後から地産の野菜や水揚げしたばかりの魚など、地の利を活かして仕入れたものを地元の飲食店などに卸売りしています。社長も3代目となり、通信販売による一般顧客の増加、贈答用加工食品など、ますます商品と販路を拡大しているS社です。
トラブル発生の背景
きっちりとシフトを組んで、余剰人員のいない状態で業務を回しているS社にしてみれば「やむを得ない」ということでしょうが、昭和の労務管理手法を引きずり過ぎている感もあります。責任感のあるパート社員達に対して、もう少し温情的な采配ができなかったものでしょうか。
ポイント
退職したAは、不当な退職勧奨、不当に有給休暇を取得させなかったことに対して、個人加入できる労働組合で相談しているようです。間もなくS社には、団交の申し入れがあるでしょう。事態が大きくなる前に、S社として打つ手はあるのでしょうか。
S社の社長への良きアドバイスをお願いします。
弁護士からのアドバイス(執筆:結城 優)
労働者が時季を特定して年次有給休暇権を行使すると、使用者が時季変更権を行使しない限り、就労義務が消滅し、かつ年休手当請求権が発生します。そして、この年次有給休暇権は、労働契約の終了に伴って消滅すると考えられています。したがって、既に退職したAは、S社との間の労働契約が終了している以上、年次有給休暇権は消滅していることになります。
他方、労働者の時季指定に対して使用者が時季変更権を行使した結果、年休を取得できないまま労働契約が終了したような場合には、例外的に年休手当請求権を認めうるとの見解もあります。したがって、本件においても、Aのした時季指定に対してS社が時季変更権を行使した結果、年休を取得できないまま労働契約が終了したとして、年休手当請求権が認められる可能性があるでしょう。なお、時季変更権の行使方法として、単に「承認しない」というのみでも足り、他の時季を使用者が指定する必要はありません。
では、本件でS社の行った時季変更権行使は適法だったといえるでしょうか。
時季変更事由である「事業の正常な運営を妨げる場合」(労働基準法39条5項但書)に該当するためには、当該労働者の年休指定日の労働がその者の担当業務を含む相当な単位の業務の運営にとって不可欠であり、かつ、代替要員を確保するのが困難であることが必要です。ここで注意を要するのは、本来、会社としては、従業員が年休をとることを前提に余剰人員を配置しておくべきであり、業務運営に不可欠な者に対してであっても、使用者が代替要員確保の努力をしないまま直ちに時季変更権を行使することは許されません(菅野和夫「労働法」第10版393頁参照)。
S社では余剰人員のいない状態で業務を回しており、余剰人員を確保する努力も行わずにこれまでやってきたようですから、本件では「事業の正常な運営を妨げる場合」には当たらないとして、S社の時季変更権行使は違法であったと判断される可能性は十分あります。
また、Aは、不当な退職勧奨があったと主張していますが、そもそも退職勧奨とは、辞職を勧める使用者の行為、あるいは、使用者による合意解約の申込みに対する承諾を勧める事実行為であり、このような勧奨行為を行うこと自体は原則として自由です(下関商業高校事件・最一小判昭55.7.10参照)。もっとも、退職勧奨に合理的な理由がなく、その手段・方法も社会通念上相当とはいえない等の場合には、違法な退職勧奨として不法行為を構成し、慰謝料の対象となります。この点、日本アイ・ビー・エム事件・東京高判平24.10.31は、「退職勧奨の態様が、退職に関する労働者の自由な意思形成を促す行為として許容される限度を逸脱し、労働者の退職についての自由な意思決定を困難にするものであったと認められるような場合には、当該退職勧奨は、労働者の退職に関する自己決定権を侵害する」との基準を示しており、参考になります。
仮にS社の時季変更権行使が違法であるとされた場合には、退職勧奨の手段・態様にもよりますが、S社のAに対する退職勧奨には合理的な理由がなかったとして、退職勧奨についても違法とされるおそれがあります。
以上を前提に、S社が採るべき基本的態度としては、Aから各請求があった場合には、和解することで、これ以上紛争を拡大させないよう努めるのがよいと考えられます。また、今後も他の従業員から同様の請求を受ける可能性もありますから、代替要員を確保するように努め、従業員が年休を取得しやすい職場環境とすることが重要です。
社会保険労務士からのアドバイス(執筆:岩山 克)
年次有給休暇は、雇入れの日から6カ月間継続勤務し、その間の全労働日の8割以上出勤した労働者に対して最低10日を付与しなければなりません。その後は、継続勤務年数1年ごとに一定日数を加算した日数となりますが、週所定労働時間が30時間未満のいわゆるパートタイム労働者の場合にも、その勤務日数に応じて比例付与され、たとえば週所定労働日数が4日の労働者には7日の有給休暇が発生します。同様に、週所定労働日数が1日の労働者であっても1日の有給休暇が発生することになります。また年次有給休暇は、労働者が請求する時季に与えることとされていますので、労働者が具体的な月日を指定した場合には、その日に年次有給休暇を付与しなければなりません。ただし、使用者は、労働者から年次有給休暇を請求された時季に、年次有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合には、年次有給休暇を他の時季に変更することはできます(労働基準法第39条第4項)。また使用者は、年次有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならないとされています(労働基準法附則第136条)。具体的には、年次有給休暇を取得したことを理由に精勤手当や賞与の額の算定などに際して、年次有給休暇の取得した日を欠勤として取り扱うとか、年次有給休暇の取得を抑制するすべての不利益な取扱いはしないようにしなければなりません。この点を念頭に置いた上で団体交渉に臨んでください。今後は「有給休暇を請求されない」 職場づくりという考え方は放棄しなければなりません。
しかしながら、さまざまな勤務シフトを駆使して業務を行ってきたS社にとっては、労働者が年次有給休暇を労働者の意志で自由に取得されることは、頭の痛い事ではありましょう。確かに事業の正常な運営を妨げる場合には、年次有給休暇を他の時季に変更することはできますが、これはあくまでも変更が出来るという事であって取らせないという事ではないからです。そこで年次有給休暇の計画的付与を考えられてはいかがでしょうか。
年次有給休暇の計画的付与は、年次有給休暇の日数のうち5日は病気その他の個人的事由による取得など、個人が自由に取得できる日数は必ず残し、5日を超える部分の有給休暇を労使協定により計画的に付与することをいいます。たとえば、年次有給休暇の付与日数が10日の従業員に対しては5日、20日の従業員に対しては15日までを計画的付与の対象とすることができるわけです。
この年次有給休暇の計画的付与制度は、さまざまな方法で活用することができます。
?事業場全体の休業に対し一斉付与する。
?班・グループ別の交替により付与する。
?年次有給休暇付与計画表により個人別に付与する。など
このような方法のなかから企業、事業場の実態に応じた方法を選択することが可能です。
年次有給休暇の計画的付与制度の導入には、就業規則による規定と従業員の過半数で組織する労働組合、または労働者の過半数を代表する者との間で、書面による協定を締結することが必要になります。この労使協定は所轄の労働基準監督署に届け出る必要はありません。このような制度を活用することによって労働者との関係を密にし、シフト表に有給休暇を組み込むことによって計画的に業務が遂行されるようになるものと思います。
税理士からのアドバイス(執筆:高木 学而)
この問題を税務的に考えていく際に、先ずキーワードとなる『103万円の壁』、『130万円の壁』そして『106万円の壁』、というそれぞれの壁について先に整理することにします。ご存知の方も多いかと思いますが、それらを簡単に整理することで、対処策がみえてくると思われるからです。
一つ目は、103万円の壁ですが、年間の給与収入が103万円を超えると所得税等が発生し、なおかつ、いわゆる配偶者控除が受けられなくなってしまうというものです。なお、年間の給与収入が141万円までは段階的に控除を受けることのできる配偶者特別控除制度があります。
つぎに130万円の壁ですが、年間の給与収入が130万円を超えると、健康保険の扶養や国民年金の3号から外れてしまい、自分で公的医療保険や公的年金に加入し、自分で保険料を支払う必要性がでてくるというものです。
そして、2016年4月以降、この130万円の壁が年間の給与収入で106万円まで引き下げられます。ただし、当面の間は社会保険加入者が501名以上の会社に勤務し、勤務年数1年以上の方のみに限定される、ということですので、S社は対象外です。
この106万円の壁を超えてしまった場合における手取りの減少額を簡単に試算をしてみますと、106万円の給与収入の場合おおよそ15万円程度年間の手取りが減る計算になります。この結果、現在の手取り分を維持するためには所得税等を考慮に入れても130万円程度の給与収入を確保することが必要になってきます。
当面は大企業において適用されるいわゆる『106万円の壁』ですが、この適用対象が大企業から拡大される事は十分に考えられる話ですし、従業員も、雇用する中小企業も避けて通れる問題ではないと思われます。
それに加えて税務上『103万円の壁』についても考えなければならない問題が発生しております。現在、女性活躍社会に関する整備が進んでおります。この流れに付随して、今後いわゆる配偶者控除制度の見直しも行われそうです。そうなりますと、給与収入を103万円に抑え、所得税等は発生しない場合でも、配偶者控除および配偶者特別控除が使えなくなってしまうため、世帯での手取りは減少することになります。
今のままの働き方であれば、世帯での手取りに関しては減少することが予想されますので、むしろ社会保険に加入することを厭わずに働きに出る、ということを選択すべきかもしれません。収入自体が増加する、こともさることながら、厚生年金に加入した期間分の老齢厚生年金を受け取ることが出来る、というメリットも考慮するべきです。
ただし、この事案を会社側からみると給与の増額のみならず、社会保険料による法定福利費が増加する、ということになります。
しかしながら、今後の女性活躍社会の動向を考えると、これは会社側からしてもいずれ引き受けるべき経費とならざるを得ないところもありますので、社会保険の106万円の壁自体は、実は労働者側よりは会社側に準備を求めるものであり、それを見据えた経営判断が求められている、という認識が必要であると思います。
社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
SRネットは、全国展開に向けて活動中です。
SRネット高知 会長 結城 茂久 / 本文執筆者 弁護士 結城 優、社会保険労務士 岩山 克、税理士 高木 学而