第168回 (平成28年1月号) SR鹿児島会
「こんな会社に就職させなければよかった…」
果たしてパワハラなのか?
「こんな会社に就職させなければよかった…」
果たしてパワハラなのか?
SRネット鹿児島(会長:横山 誠二)
R協同組合への相談
S社は創業当時からR協同組合の支援を受けつつ、S社社長も自分が得た情報をR協同組合にフィードバックし、同業種産業の成長に貢献してきました。そんなS社で、「なぜ気が付かないのだ!」「そこまでやっていて、次はないのか!」営業部に大きな声が飛び交っています。
元凶は、営業部統括の専務ですが、古株の社員は「仰せのとおり」という表情で聞き流し、新入社員は専務の大声に大きなプレッシャーを感じているようです。これまでは、親からも学校の先生からも言われたことのないような厳しい叱責を受けて、どうリアクションしてよいのかもわからない状態のようでした。
「うちの子に何をしたの…」という新入社員の母親から電話があったのは次の日でした。どうやら、息子が会社に行きたくない、という話をしたようですが、母親からしたら「パワハラだ!」ということのようです。社長は、真摯に説明しましたが、母親は息子の様子からして納得するはずもありません。専務の言動は、昭和の高度経済成長期の職場を経験した者ならば当たり前のことで、社長からすれば常識の範囲内です。退職やむなし、と社長が観念しながら母親の話を聞いていると「S社に入社しなければ、こんなことにはならなかった。息子の一生を棒に振ることになるなんて…損害賠償請求しますからね…」という言葉を聞くと、一気に青ざめてしまいました。
組合事務局で事の経緯を話しはじめた社長に、事務局担当者も共感しつつ、それどころではないと判断し、専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介しました。
相談事業所 組合員企業S社の概要
-
- 創業
- 2001年
- 社員数
- 正規 32名 非正規 15名
- 業種
- 通信機器販売業
- 経営者像
S社の社長は61歳、最近はソフトウエアの開発も成功し、支店を2ヶ所オープンするなど、業績が上向きなことにご機嫌です。創業からの社員である専務と常務を誰よりも信頼していますが、社員の定着が悪く、その原因を分かってはいるものの、どうしたらよいのか悩んでいました。
トラブル発生の背景
幹部社員の教育か、新入社員の教育か、同じようで全く違うことをS社は同様に考えていたようです。しかし、これからの企業において「会社幹部の命令に従えない者は、ダメ社員だ!」でよいのでしょうか。一方、会社は「甘え」「過保護」を許容しなければならないのでしょうか。難しい問題です。
ポイント
最近は、なんでも「ハラスメント」と片づけられる傾向があります。「ハラスメント」と「注意・指導」その境目のことをしっかり認識して、管理職は部下の育成にあたる必要がありそうです。
弁護士からのアドバイス(執筆:後藤 愛)
S社は、新入社員の母親からパワーハラスメント(以下、パワハラ)で損害賠償請求すると主張されていますが、そもそも、損害賠償請求の発生原因となる「パワハラ」を考えてみましょう。
一般的に「パワハラ」とは、同一集団内で力関係において優位にある者が、自分より劣位にある者に対して、主観・客観にかかわりなく、一方的に、一時的・継続的に、身体的・精神的・社会的苦痛を与えることをいうとされています。しかし、精神的苦痛を感じる程度は人によって異なります。上司が「指導」のつもりで行った行為が、部下にとっては「パワハラ」と感じることもありますので、上司の行為が、業務上の指揮命令として許容されるものであるのか、パワハラとして違法と評価されるのかについては、明確な線引きができるものではありません。
違法な「パワハラ」と評価されるか否かは、発言自体の内容、発言の背景動機、発言方法、手段、態様等を総合的に考慮して、社会通念上、業務上の指揮命令として許容されるか否かという観点から判断されることになります。
本件の営業部統括の専務は、「なぜ気が付かないのだ!」「そこまでやっていて、次はないのか!」などと発言していますが、発言の内容自体は、業務に関連することであって、業務上の指導の範囲にとどまるものであると思われますし、専務は誰に対しても同じように叱責をしているようですので、発言の背景動機が特に問題になることもないかと思われます。これに対して、例えば、専務の発言内容が「存在が目障りだ」とか「肩にフケがきたなく付いている。お前病気と違うか」等人格否定的な内容である場合や、専務が、個人的な感情で、特定の社員に対してのみ厳しい叱責をしているのであれば、それはパワハラと評価される可能性があります。
また、本件の専務は大声で威圧的に叱責しているようですが、これは場合によってはパワハラと評価される可能性があります。何度指導しても部下が同じような間違いするとか、部下が上司の指導を素直に聞き入れようとしないなどの事情があるのであれば、場合によっては大声を出して厳しく指導する必要があるかもしれません。しかし、そのような特別の事情がないのであれば、あえて大声で威圧的に指導する必要はないのですから、そのような発言は、社会通念上、業務上の指揮命令の範囲を超えるものと評価される可能性があります。
専務の行為が違法な「パワハラ」と認定される場合、パワハラをした上司本人が不法行為に基づく損害賠償責任を負うことはもちろんですが、会社は、雇用契約における信義則上の付随義務として、労働者に対して、物理的に良好な職場環境を整備するとともに、精神的にも良好な状態で就業できるように職場環境を整備する義務(=職場環境配慮義務)を負っていますので、会社が、かかる義務を怠って、従業員や第三者に人的・物的損害を与えた場合には、会社自身も不法行為責任や債務不履行責任を負うことになります。特に、パワハラを行ったのが本件のような管理職の立場にある者である場合には、当該管理職の立場にある者も、会社の手足として職場環境配慮義務の履行の実現を果たす役割を担っていますので(履行補助者)、履行補助者の義務違反行為が会社自身の義務連反行為とみなされて、会社が責任を負うものと解されています。
他方、パワハラを行ったのが、履行補助者以外の従業員である場合には、直ちに会社が職場環境配慮義務違反の責任を負うことにはなりません。しかし、当該従業員の行為が「その事業の執行に付き」なされたものであると認められる場合には、会社は不法行為法上の使用者責任(民法715条)を問われることになりますし、当該従業員のパワハラを会社が放置したことにより被害が発生・拡大した場合には、会社には職場環境義務違反等の債務不履行責任もしくは使用者責任が発生することになります。
会社には、従業員間の指導内容・方法の実態を把握し、従業員が精神的にも良好な状態で就業できるよう職場環境を整備することが求められているのです。
社会保険労務士からのアドバイス(執筆:山崎 智建)
「ハラスメント」に関しては弁護士のアドバイスに委ねるとし、なぜ本件のような状態になったのか考えてみたいと思います。
まず、事の起こりは新入社員の母親からS社に電話が入ったことです。S社長にしてみれば、創業時から共に頑張って現在の成長に至ったのは、専務のような猪突猛進型の働きがあり、S社の社員一同が追従してきたからこそ、という思いがありますので、晴天の霹靂という感じだったかもしれません。
昭和の高度経済成長期のころならそれでも良かったかもしれませんが、時代は平成です。
勤労意識の変化や社会情勢が変わっていることの認識が少し甘かったのかもしれません。また、背景として職場のコミュニケーションの活性化が図られず、働きやすい職場環境づくりが不足していたこともあるようです。
近時、いわゆるハラスメントと呼ばれる類のものは約30種類以上も発生しています。
なかでも「職場のパワーハラスメント」にかかわる相談が増加しているようです。
パワハラによる企業へのマイナスの影響を考えてみると、職場全体の生産性が低下するばかりか、パワハラを受けることにより心身の健康を害し、場合によっては休職や退職に追い込まれ、最悪の場合には生きる希望を失わせることもあります。その結果「職場環境配慮義務違反」などの理由により企業が法的責任を問われることにもなり、問題解決までの時間、労力、コストを要し、結果として、企業イメージの低下にもつながることもあります。
では、S社のようなパワハラを生じさせないようにするために、企業はどのようにしたらよいのでしょうか。
第一に、経営者が「わが社ではパワーハラスメントは生じさせない。職場のパワーハラスメントはなくすべきものでる」という方針を明確に示すことです。次にルールを決めることですが、それは就業規則等で規定化することが挙げられます。
さらに実態を把握し、予防・解決のために研修を行うこと。また組織としての方針や取り組みについて、掲示等を行うなどして全社員に周知・啓発を実施すること。などが考えられます。また、社内外に相談窓口を設置し、職場での対応責任者を決めるなどして、相談や解決の場を設置すること、再発防止ための取り組みとして行為者に対する再発防止研修等を行うことも必要です。
以上のような取り組みは各企業の特性に合わせてスケジュールを立てて取り組めばよいと思います。S社社長も自社のパワハラの予防・解決について、実態を把握・分析し、早期に取り組んでおけば本件のような事案は生じなかったことでしょう。
税理士からのアドバイス(執筆:屋宮 久光)
今後発生するであろう事態と会社が今後取りうる施策についての税務上のリスクについて触れておきます。以下S社においては法人税、消費税、新入社員においては所得税の取り扱いとなります。
S社が支払う慰謝料
専務の行為は故意または、重過失に基因するとは考えにくいので、妥当な慰謝料の範囲であれば、損金算入は可能であると考えます(法人税法基本通達9-7-16)。金額の算定が不明確であるなど、客観性に欠ける場合は寄附金認定される可能性があります(法人税法37-7)。また、「損害賠償金で、心身に加えられた損害に基因して支給するもの」は消費税の計算において、資産の譲渡等の対価には該当しないものと考えられ、不課税取引となります(消費税法5-2-5)。
S社が使用者賠償責任保険に加入している場合、その保険料は、法人税法上は全額損金とされ消費税法上は非課税となります。なお、S社が保険金を受領した場合、その受領した保険金は、法人税法上は益金とされ消費税法上は不課税となります。
新入社員が受ける慰謝料
パワハラに対しての慰謝料は、所得税法上非課税となるものと考えられます(所得税法9-1-17)。ただし、客観性があれば問題ありませんが、慰謝料としての妥当額を超えると認定される場合は、その超える金額は、一時所得になる可能性があります(所得税法基本通達34-1-15)。
S社が支払う給与保証
対象社員が再就職するまでの給与保証を慰謝料と考えれば、必要経費になると考えられますが、給与は本来労働の対価であるという観点からすると、対価性がないと考え、寄附金認定される恐れがあります(法人税法37-7)。
新入社員が受ける給与保証
再就職までの、給与保証が「損害賠償金で、心身に加えられた損害に基因して取得するもの」に該当するものと判断されれば、所得税は非課税になるものと考えられます(所得税法9-1-16)。また、退職金と判断できれば、退職所得控除があります(所得税法30、所得税基本通達30-1)。ただし、S社の退職金規程を超える場合は、過大退職給与として、給与所得として課税されることが考えられます。
S社が行うべき今後の施策として、取り入れる研修教育費用に関しては、以下の通りとなります。
会社としては、法人税法上損金とされ、消費税法上は課税仕入れとなります。注意すべきは、外部講師に対しての源泉徴収が必要となることです。また、採用内定者に支給する旅費日当等については、旅費規程等に合致すれば問題ありませんが、採用内定者を拘束し、懇親会等を実施して、その費用が囲い込み費用に当たるような場合は交際費等に該当します。
研修を受ける社員について、技術や知識の取得費用は次の三つのいずれかの要件を満たしており、その費用が適正な金額であれば、給与として課税しなくてもよいことになっています。
(1)会社などの仕事に直接必要な技術や知識を役員や使用人に習得させるための費用であること。
(2)会社などの仕事に直接必要な免許や資格を役員や使用人に習得させるための研修会や講習会などの出席費用であること。
(3)会社などの仕事に直接必要な分野の講義を役員や使用人に大学などで受けさせるための費用であること。
最後に、産業医への報酬は、個人の場合は、所得税法上給与とされ、支払時に所得税の源泉徴収を必要とし、法人税法上は損金とされ消費税法上は不課税となります。
一方、医療法人に対価を支払う場合には、その対価の額は、法人税法上は損金とされ消費税法上は課税仕入れとなります。
社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
SRネットは、全国展開に向けて活動中です。
SRネット鹿児島 会長 横山 誠二 / 本文執筆者 弁護士 後藤 愛、社会保険労務士 山崎 智建、税理士 屋宮 久光