第164回 (平成27年9月号) SR大阪会
何でも残業見合い手当?
「どれくらい時間がかかるのかわからないから…」
何でも残業見合い手当?
「どれくらい時間がかかるのかわからないから…」
SRネット大阪(会長:木村 統一)
N協同組合への相談
K社は、N協同組合との付き合いが長く、仕事先の紹介を始めとして、さまざまな場面で支援を受けてきました。
ある日のこと「未払残業に、休憩未取得か…」昨今話題の賃金未払のニュースを見ながらK社の社長がつぶやいています。「うちもしっかり管理しないと、何言われるかわからないわよ」と妻がいうと、「確かにそうだな」とK社の社長は、何やら思いついたようです。「職務手当、現場手当…全部残業代だって…」K社の社員たちが給与明細を手にしていると、そこへ現れた社長は「もともと、定時で終わる仕事ではないし、休みに出ることもあるからな、そのあたりを含めてみんなの給与を高めにしているので、誤解がないように内訳をつけておいた、今までと何も変わらないよ」と説明しました。若手の社員が計算してみると約80時間分の残業代が含まれているようで、「先輩たちは、もっと多いはずですよ」というと、「俺は120時間だ!」「俺は110時間だ!」と騒ぎ始めました。「おいおい、親父の代から残業も休日も込みの給与設定だっただろ、みんなも納得して働いていたのだから、今さら驚くことはないだろう」と社長がいっても「なんだか気に入らないな…、だったら内訳はいらないよなぁ」と古手の社員が返しました。
外出の予定があるので、と逃げ出した社長は組合事務局に飛び込み、事務局担当者に経緯を話しました。事務局担当者は、早く収集しないとまずいことになると判断し、専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介しました。
相談事業所 組合員企業K社の概要
-
- 創業
- 1970年
- 社員数
- 正規 5名 非正規 2名
- 業種
- 造園工事業
- 経営者像
K社の社長は53歳、父親の急死で3年前にサラリーマンから転身し、造園業を引き継いでいます。自身が営業マンであったため、「労働時間」には興味がなく、とりあえず目の前の仕事を片付ける、というタイプの人間です。
トラブル発生の背景
社員たちが普段気にしていない分野の危機管理をいきなり実行してしまいました。
確かに、未払賃金の問題は重要な課題ですが、自社にあった形での給与体系見直しと、十分な説明が必要だったようです。
ポイント
「どう転んでも、時間手当が発生しない給与体系」はありうるのか、また、社員の納得と法適正はどう考えるべきなのか、昔気質の社員が多いK社にあって、新給与体系への移行をどのようにするのか、K社社長への良きアドバイスをお願いします。
弁護士からのアドバイス(執筆:竹山 直彦)
固定残業代制度の有効性や適用をめぐっては、これまで多くの判例が出ています。 残業代である以上は、法定の割増賃金額と同額、またはそれ以上の額であることは当然のこと(労基法37条)、従業員との個別の契約や周知性のある就業規則で規定しなければ労働契約として成立しません(労働契約法6条、7条)。
また労働契約として有効であるためには、通常の労働時間に対する賃金部分と、固定残業部分を明確に区別して規定する必要があります(高知観光事件 最高裁判決平成6.6.13、テックジャパン事件 最高裁平成24.3.8)。固定残業代も残業代であり、労基法37条の制限を受け、割増賃金であることを明確にする必要があるためです。
したがって、労働者から残業代を請求された使用者が、固定残業代制度を主張し、周知されていない計算式による算出を後付け的に持ち出した場合には、制度の有効性が否定されることもあります。
固定残業代を、営業手当や職能手当などの名目で払う場合も同様であり、昇級して基本給が上がったのに、手当額に変更がない場合には、固定残業代とみなされない可能性もあります。また、計算上、労基法に従った割増賃金額が固定残業代を上回る場合には、差額を支払う旨の合意も必要です(古里機材事件最高裁昭和63.7.14)。したがって労働契約書や就業規則には、固定残業代が何時間分の残業代に相当するのかも明示する必要があります。そして固定残業代は、賃金台帳にも明記する必要があります。
このような固定残業代制度が特に問題となるのは、経費削減を目的として制度を途中で導入し、就業規則を使用者が一方的に改定したことにより不利益変更が生じる場合です。
この点は、第四銀行事件(最高裁平成9.2.28)で、労働者が被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容・程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合、または他の従業員への対応、同種事項に関する我が国社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきという基準が示され、労働契約法10条にも要件として反映されています。この労働契約法10条の要件は厳格ですが、使用者側からの経営状況や雇用の安定化の必要性を時間をかけて十分に説明し、労働者に納得を得てもらえるかどうか、がポイントとなります。
また労働者の納得が得られないままの一方的な固定残業代の導入は、後日契約の有効性が問題となるだけでなく、労働者に長時間労働を課し、ブラック企業の烙印を押される危険もあります。
今後、残業代ゼロ法案が可決・制定された場合にも、適用対象者が限定されており、これに該当しない従業員に対して固定残業代制度を導入するに当たっては、慎重な対応が要求されることに変わりはありません。
社会保険労務士からのアドバイス(執筆:近藤 洋一)
固定残業代制の導入は、残業の発生が避けられない業務に就く従業員の残業代対策で、現在数多くの企業が導入しています。
もっともK社の社長は、従来から支給している給与の内容に、後付で、各種手当の中に残業代が含まれていると主張しているのですが、そこには、法的にも、従業員の納得性にも大きな問題があるように思われます。
すなわち、残業代として支払っていると認められなければ、残業代が未払いとされるだけでなく、固定残業代として支払われている金額を割増賃金計算の際の基礎賃金に含めて計算しなければならず、結果として未払い残業代の額が膨大な金額となるリスクが予想されます。
固定残業代制は、残業代に当たる部分が、通常の労働に対する賃金と明確に区別できることが必要です。K社は、「手当の全部を固定の残業代として支給している」と主張していますが、本来の手当と時間外労働分の手当とを明確に区別できることが必要です。
次に、K社の場合、「職務手当」「現場手当」等が就業規則などに残業代に相当するものであることが明記されていなければ、それらの手当が残業代の性格を有していると証明することは困難です。なお、手当の名称についても、できる限り残業代として支払うことが想定される名称を用いるほうがわかりやすいでしょう。
また、固定残業代制はまた、労基法所定の計算方法により割増賃金が支払われているか否かを判断できるようにすることにあるのですから、少なくとも固定残業代として支給される額が明示されていることは必要になります。加えて「時間外労働〇〇時間分の割増賃金として△△円を支給する」のように、固定残業代に相当する時間数を明記すれば、従業員にとっても固定残業代が法律上十分な額かどうか判断しやすいでしょう。
なお、固定残業代が何時間分の金額に相当するのかは重要な問題となります。たとえば、判例では、賃金規程の職務手当に「95時間分の時間外賃金として支給する趣旨である」とする会社の主張を認めず、労基法36条の労働時間延長の上限とし周知されている月45時間分の通常残業の対価として合意されたものと認めるのが相当としました。そのような設計のありかたは、従業員の健康にも悪影響を与えかねず、過重労働として労災、民事損害賠償請求の重要な原因にもなるとの見解です。
さらに、判例は、労基法所定の計算方法による額が固定残業代の額を上回る場合、その差額を当該賃金の支払期に支払うことが合意されている場合にのみ当該制度を容認しているし、上記精算をする旨の合意が存在するか、少なくともそうした取扱いが確立されていることを要するとしています。
一般的に、固定残業代制などの賃金制度は労働者に画一的に適用する必要があるため、就業規則の変更手続きにより行われます。具体的には、賃金規程に定額残業代規定を設け、固定残業代として支払う金額、それに対応する時間外労働の時間数を記載します。
また、固定残業代制導入の際、多くの企業がそれまで支給していた賃金の一部を「固定残業代」に組み入れる方法をとっています。その場合、割増賃金計算の基礎となる賃金額が減るので、労働条件の不利益変更となります。したがって、従業員の同意を得られように交渉や周知を丁寧に行う必要があります。
最後に、労働時間管理は、使用者が行うべき重要な労務管理です。近時、労働時間の量のみで遂行していた時代から質を問われる時代へと変化しています。今後は、それに伴う業務遂行効率化への取り組みや、長時間労働に伴う従業員の健康管理対策が企業の発展を左右するのかもしれません。
税理士からのアドバイス(執筆:中野 洋)
固定残業代制は、一見、魅力的なものにみえますが、「正しく」運用すると、経営管理上、経営者にメリットが少ない制度と言えます。
固定残業代制の2パターン
a)基本給のうち一部を残業代とするパターン
基本給30万(基本給に残業代5万円を含むもの)
b)基本給とは別に残業代を支払うパターン
支給総額30万円(内訳:基本給25万円、5万円の定額残業代)
どちらのパターンも、支給総額が30万円であること、残業代として5万円であることは同じです。
この2パターンが採用されている会社で、固定残業代があるから、「何時間働いても残業代はない」「労働時間も記録していない」といった場合、結論からいえば、すべて違法な運用です。
固定残業代制の「正しい運用」は困難
固定残業代制の「正しい運用」は、基本給のうち割増賃金部分が明確に区分されている合意があり、固定残業代に対応する残業時間が明示され、その残業時間を超えた場合には差額賃金を支払うことが必要です。タイムカードなどで労働時間管理を行い、固定分を超える分の差額賃金計算をして差額支払する義務があります。また、基本給や固定残業代がそれぞれ1時間当たりいくらになるかを計算してみて、最低賃金や法定割増率を下回っていれば、形式的な条件を満たしていてもアウトです。その上、上記の計算をするだけで、恐ろしく経理上の手間が掛かります。
違う角度から見ると、違法な運用は、企業間の公正な価格競争という意味でも問題があります。
法律を守っている企業は、違法な残業代不払いでコスト節減した企業と、不公平な価格競争を強いられてしまいます。労働時間削減のために必死になって経営努力している企業からすれば、残業代不払いという行為によって、大きな損害を受けているのです。
労働基準法において、給与は『・・名称の如何を問わず、労働の対償として使用者に支払うすべてのものをいう。』と規定されております。ただし、税法上、給与と名目で支給されていても、労働の対価としての性格を有していないものもあり、税法上の取り扱いを確認する必要があります。
所得税法上においては、福利厚生費として処理されている費用でも、給与所得と判定されると源泉徴収の対象となります。特に金銭以外の物、いわゆる現物給与については、取り扱いが源泉課税の対象となるケースと非課税となるケースがあります。また、役員に対する福利厚生費が役員報酬と見做された場合には、法人税法上、損金不算入となり、所得税と法人税のダブル課税となるので注意が必要です。
ご参考までに、従業員が支給を受けた次の金銭等については、所得税が課されないことになっています。この規定を活用し、給与の支払総額を管理することが重要です。
?通勤手当。交通機関利用運賃は実費。1ヶ月当り10万円までの金額。
?残業、宿・日直の食事代。
?深夜勤務者に対する食事代(1回300 円以下)。
?1回4,000 円以下の宿・日直料。
?一定の要件を満たす食事代。
・ 価額の50%以上を所得者本人から徴収
・ 月額 3,500 円を超えない
?旅費、交通費、宿泊費、日当、転勤・就職・退職に伴い支出する交通費、宿泊費、運賃等。
?会社契約で一定要件を満たして加入する従業員を対象とした養老保険。
?社宅の家賃(一定額以内、計算式あり)。
?以下の要件を満たす永年勤続者表彰用記念品、旅行招待費。
・ 社会通念上相当と認められるもの
・ 概ね10 年以上の在職者に5年以上の間隔をおいて支払われるもの
?自社商品の通常販売価額の70%以上かつ原価以上の販売による社員割引販売
社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット大阪 会長 木村 統一 / 本文執筆者 弁護士 竹山 直彦、社会保険労務士 近藤 洋一、税理士 中野 洋