社会保険労務士・社労士をお探しなら、労務管理のご相談ならSRアップ21まで

第108回 (平成23年1月号)

海外出張!!「できれば他の方にお願いしたいのですが…」

SRネット山形(会長:山内 健)

相談内容

C国の工場長であるK課長が病気で倒れたという一報がB社に届きました。どうやら過労で糖尿病が悪化したらしく、しばらく入院が必要だということです。

さっそくB社の役員会が開催され、後任人事として、営業課のU主任(38歳)が抜擢されました。役員室に呼ばれたU主任は、何事かと最初はおどおどしていましたが、話を聞くなり、「ありがたいお話ですが、私には諸事情ございますので、できればC国駐在は他の方にお願いしたいのですが…」と意を決したように答えました。「おいおい、そんな内容で即答すべきことではないだろう、わが社の命運がかかっているのだ。一刻たりとも日本人不在の工場にはしたくないのだ、今動けるのは君しかいないのだ、さっそく準備してくれ」とF社長が頼み込むように言っても、「いえ、だめなものはだめです。こちらでの仕事を頑張りますので、この話はなかったことにしてください、確か就業規則にも海外駐在のことは何も書いていなかったはずです」とU主任は反論しました。確かにB社の就業規則には、“出張”は定義されていますが、海外出張や海外赴任が定義されていません。規定よりも業務が優先し、C国出張や滞在について文句を言う社員がいなかったからでした。「そこまで言うのなら、行けない理由をはっきりと話しなさい、他の者に当たるにしても、君がなぜ断ったのか、その理由がわからないと話ができない」いらいらしながら専務が問い詰めると、「やっと、結婚できそうなんです、C国に行くとなると、せっかくの話が流れてしまいます、私にとっては一生の大事です」U主任がやっとのことで本意を明かしました。途端に社長はじめ役員たちが大笑いしはじめました。「会社を辞めさせられたら、それこそ終わりだよ、彼女をうまく説得してC国に行って来い、結婚は戻ってきてからでも遅くないぞ」F社長が言い放ちました。

相談事業所 B社の概要

創業
昭和43年

社員数
19名 アルバイト 2名

業種
加工食品卸売業

経営者像

C国に工場を有するB社のF社長は66歳、海外物と国内商品をバランスよく仕入れ、近郊の飲食店に販売しています。ここ数年のB社は、C国での製造に力を入れており、社員が交代でC国に常駐するまでとなりました。


トラブル発生の背景

突然のアクシデントですので、B社からすれば仕方なかったのでしょうが、U主任はかなり傷つき、そして悩んでいるようです。U主任はこの結婚のチャンスにすべてを賭けているところがありました。

いくら中小企業でも、実態優先で海外赴任に関するルールがまったく整備されていないのは、いかがなものでしょう。これまではうまくいったとしても、今後は規程などを整備する必要がありそうです。

経営者の反応

次の日のこと、U主任が無断欠勤していることがわかりました。「携帯も家の電話も通じません、実家にも連絡しましたが帰っていないようです」総務部長が慌ててF社長に報告しています。「誰かU主任のことを知らないか?」全社員に呼びかけても、みな首を振るだけです。「昨日は、ずいぶんと暗い顔をして、こちらがお疲れ様といっているのに、挨拶もせず帰っていきましたよ…」とある社員が答えました。「もしかしたら、寝坊しているだけかもしれない、しばらく待ってみよう」とF社長が事態を収拾し、みな各自の仕事に戻りました。しかし、翌日もその翌日もU主任は姿をみせません。「警察に捜索願を出したほうが…」という声が上がり始めた頃、U主任から電話がありました。

役員会で物笑いにされたこと、いきなりのC国駐在のことなど、B社の体質にがまんできないので退社する、ついては精神的にかなりの被害を受けたので慰謝料を請求する、という内容でした。

F社長と役員たちは一様に驚き、そしてこの展開にどう対応すべきか、顔を見合わせました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:村山 永)

従業員の配置の変更であって、職務内容または勤務場所が相当の長期間にわたって変更されるものを「配転」ないし「配置換」といい、このうち同一勤務地内の勤務部署の変更を「配置転換」、勤務地の変更を「転勤」を称します。

B社としては、少なくともK課長の療養期間中は、U主任にC国の工場長を任せるつもりのようですから、U主任のC国駐在は相当長期間にわたりそうであり、これは「出張」ではなく「転勤」ということになります。

では、使用者は、従業員に対して、無制約に転勤を命じることができるのでしょうか。 特に長期的な雇用を予定した正規従業員については、使用者には、人事権の一内容として、労働者の職務内容や勤務地を決定する権限(配転命令権)があると解されており、就業規則に「業務の都合により出張、配置転換、転勤を命じることがある」といった条項がおかれているのが普通です。

しかし、使用者の配転命令権には、まず、労働契約上の制約があります。職種や勤務地を限定する合意のもとに雇用された場合には、その限定を超える配転を命じることはできません。また、一応、配転命令権が認められる場合であっても、それが権利の濫用に当たる場合には、その配転命令は無効になるとされています。最高裁は、東亜ペイント事件判決(昭和61年7月14日言渡)において、転勤命令について「業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、・・・・・・他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるものであるとき」は、権利濫用になり無効と判示しています。

この最高裁判例の判断枠組みに本件をあてはめますと、B社とU主任の間の労働契約に職種や勤務地を限定する合意があったとは認められませんから、B社には配転命令権があることになります。また、業務上の必要性は余人をもって替えがたいという程の高度のものであることを要せず、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められれば肯定されるとされています(前記東亜ペイント事件判決)ので、前任のK課長の病気に伴いC国に日本人の工場長を配置するためのU主任への転勤命令は、業務上の必要性があるものということができ、不当な動機・目的をもってなされたものにも当たらないでしょう。問題となるのは、「労働者(U主任)に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるものである」かどうかです。

この点に関する係争として従来の裁判例でよくみられるのは、要介護状態にある老親や転居が困難な病気をもった家族を抱え、その介護や世話をしている従業員に対する遠隔地への転勤命令の有効性が争われる事案です。ネスレ日本事件(大阪高裁平成18年4月14日判決)やNTT西日本事件(大阪地裁平成19年3月28日判決)などでは、当該転勤命令が権利濫用に当たるとして無効とされました。現在は、ワーク・ライフ・バランスへの社会的要請が高まっている状況にありますので、通常甘受すべき不利益かどうかの判断基準も、次第に「仕事と家庭の調和」の方向へ傾いているようです。

さて、U主任の「C国へ行くとなると、せっかくの結婚話が流れてしまう」という事情は、「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」なのでしょうか。このような事情を基に争われた裁判例は見当たりませんが、C国駐在となる期間の長短(K課長が回復するまでの数ヶ月程度なのか、数年に及ぶのか)、C国との往来の利便性如何(片道数時間程度のフライトで往復できる程度の近隣国かどうか)等の具体的事情を総合して判断されることになるものと思われます。

長期間にわたる、一時帰国も容易でない遠方の国への転勤命令であれば、U主任の結婚話を破談にしてしまう危険性が高く、権利濫用として無効と判断される公算が大です。その場合には、無効な転勤命令により精神的な苦痛を被ったものとして、使用者に対して慰謝料請求が認められます(前記NTT西日本事件)。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:西村 吉則)

C国の工場長であるK課長の不測の事態に、即急な対応を余儀なくされたとはいえ、U主任に対し、事前説明もなく唐突な海外出張命令によりトラブルが生じてしまいました。まず、U主任への対応について考えてみましょう。

出張とは、場所の移動にしても「労働者の業務内容や職場の変更」を伴う場合にも、臨時的・短期間を想定しているのに対し、配置転換とは、同一の使用者のもと、労働者の配置(職務内容または勤務場所)が相当期間長期にわたって変更されることをいいます。海外出張命令は、配置転換と同様に、就業規則や労働協約に「会社は業務の都合により、海外を含む出張を命ずることができる」旨の規定があり、実際にも、その規定に従い海外出張が行われ、出張のない旨の合意がなされなかった場合には、個別合意がなくとも、海外出張を命ずることができます。B社のように、就業規則に、海外出張条項がない場合は、使用者の海外出張命令権の根拠は認められず、労働者が同意したなど特別な事情が認められない限り、海外出張を命ずることはできないことになります。したがって、今回の対応について、U主任への十分な説明や意向聴取もなく、役員会の席で同意が得られなかった以上、後任人事は一旦撤回し、改めて人選に着手するべきです。

次に、人選に関する問題です。

B社は社員19人の小規模事業所であり、限られた中での人選であっても、以下のように、法令に抵触する海外出張命令は許されないことになります。

?国籍、信条、社会的身分による差別
労働者の国籍、信条、社会的身分を理由とする労働条件について、差別的取り扱い禁止(労基法3条)
?労働者の性別を理由とする差別的取り扱い
労働者の配置、職種の変更等について労働者の性別を理由とする差別的な取り扱いの禁止(均等法6条)
?妊娠、出産、産前産後休業を理由とする不利益取り扱い
女性労働者の妊娠、出産、産前産後休業の請求または取得等を理由とする解雇その他の不利益取り扱いの禁止(均等法9条3項)
?育児・介護休業を理由とする不利益取り扱い
育児休業・介護休業・子の看護休暇につき、労働者が休業申し出をし、または休業したことを理由とする解雇その他の不利益取り扱いの禁止(育児・介護休業法10条、16条、16条の4)
?労基法違反等の申告を理由とする不利益取り扱い
労働者が労基法、安全衛生法違反の申告をしたことを理由とする解雇その他の不利益取り扱いの禁止(労基法104条、安衛法97条)
?不当労働行為
労働者が、労働組合員であることや、正当な組合活動をしたことを理由に、解雇その他の不利益取り扱い、および労働組合の運営に対する支配介入の禁止(労組法7条)
?公益通報を理由とする不利益取り扱い
労働者が、公益通報者保護法に定める公益通報をしたことを理由とする降格、減給、その他不利益取り扱いの禁止(公益通報者保護法5条)

後任の人選が決定するまでに、海外出張にかかる規程の整備、海外渡航における事前準備要綱の作成が急務になります。

前述のとおり、就業規則に海外出張を命ずる規定を追加するとともに、出張旅費規程を設ける必要があります。海外出張の旅費の種類は以下の項目になります。
?支度料
主として、出張に必要な旅装や身の回り品をそろえるために充てる費用
?日当
階層別、出張地域別に、食事代・雑費を含めた定額の日当支給
?宿泊費
ホテルのルームチャージ、サービスチャージや税を含み、実費支給が原則
?交通費
航空、鉄道、船舶などの運賃、およびタクシー代は実費支給
?荷物運送諸費用
長期間の出張、季節の異なる地域への出張、また業務上の資料など社用荷物を携帯する事情があるときは、航空便別送料金、携行手荷物料金の支給
?渡航雑費
パスポート取得印紙代、外貨買入れ手数料、戸籍抄本、住民票取得手数料、写真代、予防接種など渡航手続き上で必要な諸経費の支給
?通信費
国際電話、インターネット・メール、郵便料金の会社負担

海外渡航上最も重要になるのは、あらかじめ予想される危機を回避するための事前の対策になります。
?健康診断・歯科検診
特に長期の出張の前には、健康診断を受け、健康体であることの確認をし、海外出張に支障のない程度の持病がある場合は、予め主治医に相談の上、通常服用している薬の渡航先における確保について確認が必要になります。また、歯科治療は、一般的に海外傷害保険の対象外であり、費用の面と技術的な面からも渡航前に治療を済ませておきます。
?常備薬
海外では、気象条件、時差、食習慣、精神的ストレスなどにより、体調を崩す場合が少なくなく、処方箋がないと日本のように市販薬が購入できない場合や、体質に合わない場合などがあるので、頭痛薬、風邪薬、消化薬などを応急薬として準備します。
?予防(ワクチン)接種
海外渡航者の予防接種には、自分自身を感染症から守り、周囲の人への二次感染を防止する場合、およびワクチン接種済み証明書を渡航先国から要求される場合があり、事前に渡航先の感染症情報、ワクチンの情報を収集し、接種について判断します。

税理士からのアドバイス(執筆:木口 隆)

本件については、税理士という立場からは直接的にアドバイスできることはないようですので、ここでは一般的な海外駐在時の税金関係について述べてみたいと思います。

まず、日本の所得税法では「居住者」については、国内に「住所」を有し、または現在まで引き続き一年以上「居所」を有する個人をいい、「居住者」以外の個人を「非居住者」と規定しています。

海外勤務者が「居住者」となるか「非居住者」となるかは、その海外勤務の期間が一年以上となるか、そうでないかによって違ってくることになります。

「居住者」については、日本国内での課税関係に変わりありませんが、「非居住者」になると、海外の勤務地での課税となり、日本の所得税は課税されません。

なお「住所」は、「個人の生活の本拠」をいい、「生活の本拠」かどうかは客観的事実によって判定する、ということになっています。 ある人の滞在地が二か国以上にわたる場合、その住所がどこにあるかを判定する場合には、職務内容や契約等を基に「住所の推定」を行うことになります。また「居所」とは、「その人の生活の本拠ではないが、その人が現実に居住している場所」とされています。

「居住者」に該当する場合(一年以内の勤務期間)には、課税関係は従来どおりで変わりありません。注意点は「在外手当」などの支給があった場合です。通常の給与に加算する形で支払いを受ける手当のうち、その勤務地の物価・生活水準等の格差を補てんするためのもので、国内で勤務した場合に比べて利益を受けると認められない部分は、課税されませんが、それ以外の部分は給与等として課税の対象となります。

また、海外渡航費として、役員または使用人が会社から支給される旅費等については、その渡航が、会社の「業務の遂行上直接必要と認められる場合」には、その海外渡航のために通常必要と認められる部分の金額に限り非課税となり、その範囲を超える部分の金額については給与等となります。また「業務の遂行上直接必要と認められる場合」とは、交通費・宿泊費・渡航手続き費用・支度金・日当などの費用とされているようです。

次に、「非居住者」の場合の給与所得について検討してみます。

一年以上の海外勤務が予定されている個人(以下、給与所得のみのサラリーマンと仮定して)の場合、「非居住者」となる時までに日本国内で得た給与所得の精算をする必要があります。通常の年末調整と同じ手続きを給与の支払者である会社で行ないます。「給与所得者の保険料控除申告書兼給与所得者の配偶者特別控除申告書」「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」を会社に提出します。扶養親族に該当するかしないかは、出国時の現況で判断します。扶養親族に所得がある場合には、一年間の所得を見積もって判定します。社会保険料や生命保険料は出国時までに支払った分を控除の対象とします。

逆に海外勤務を終了して、帰国した場合はどうでしょうか、考え方は同じです。帰国後の給与所得についてのみ年末調整により、所得税の精算を行います。各種控除等(社会保険料・生命保険料・地震保険料等)は、帰国後に支払った金額がその基となります。医療費控除(こちらは確定申告となりますが)も同様です。

最後に住民税についてですが、住民税は所得税の年末調整のように、その年のうちに税金の精算をしてしまうのではなく、前年の所得に対して、今年の六月から来年の五月までの給与から源泉徴収されるのが原則です。

賦課期日(その年の一月一日)に住民登録されている市区町村で課税されますので、一月一日現在日本に住所があれば、出国後であっても、前年の所得に対する住民税を支払う必要がありますし、その年の一月一日に国内に住所がなければ、日本の住民税の支払義務は発生しません。

以上が給与所得のみのサラリーマンの課税関係ですが、一定の国内源泉所得等(国内の不動産の賃貸料収入による不動産所得等)がある場合には、「非居住者」であっても毎年確定申告する必要があります。この場合には、その後の申告や納税義務を履行するために、出国前に「所得税の納税管理人の届出書」を提出しておかなくてはなりません。届出書の提出以後は、税務署からの書類等は納税管理人に届けられるようになります。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
SRネットは、全国展開に向けて活動中です。


SRネット山形 会長 山内 健  /  本文執筆者 弁護士 村山 永、社会保険労務士 西村 吉則、税理士 木口 隆



PAGETOP